2023年5月16日火曜日

判定などされるがままにしておけばいいのだが

 

 

「そういうわけで、それはここなのだ。

人びとが生きるためにやってくるのは。

ぼくとしては、むしろ、

死ぬためにやってくる場所なのじゃないか

と思えたりもするのだが。」

 

こんなふうに訳せそうな

リルケの『マルテの手記』の冒頭

 

「それはここなのだ」

と語られている場所はパリのことで

この手記はえんえんと

パリの寂しさや

救いのなさや

語り手の子ども時代の家の

これまた暗い

重苦しい雰囲気を語っていく

 

全体として

そんなに面白い本とは思わないが

それでも

どことなく惹かれる本

若い頃に日本語訳で読み終えた時には

なんだかなあ…

もう読み直すことはないかなあ…

などと思ったが

いつのまにか

手元に二冊も漂着してきている

 

生きるために

と思って

人びとがやってきて

でも

じつは死ぬためなんじゃないか

という場所って

パリなどという局所のことではなく

この世そのもののことなんじゃないのか

と思える

 

パリを比喩にしながら

発見したこのことを

リルケは言わんとしたのでは

なかったか?

 

学生時代のような

無益でぎこちない若さの失せた頃

読んでも満足できなかった本を

もう一度手に取ってみることの良さは

本というものを

抽象的に小利口にまとめて

評価したり批評したりしなくなることだ

若さというのは

どうしてあれほど判定したがるのだろう?

判定など

されるがままにしておけばいいのだが

それがわかるには

ずいぶんと時間と労力の浪費が

必要とされる

 

ともあれ

『マルテの手記』内に散見される

パリの街角の光景は

見事なスナップショットで

こころ惹かれる

リルケは短い詩の名手だったが

光景の切り取りにおいても

本当の名人だった

『マルテの手記』では

それらだけを拾って読んでいっても

十分に価値がある

というより

そういう読み方のほうが

むしろ行なわれるべきかもしれない

二十世紀はじめの

これから世界が大きく崩れていく頃の

不安と暗さに飲み込まれないように

リルケの精髄である美酒の部分を

二十一世紀に味わい直すためには






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