ストーリー展開の妙を見せてくれるものとしての
小説
としては
ほぼ破綻している
といってよい
永井荷風先生の『濹東綺譚』は
しかし
文明批判や日本人批判の随想として読めば
第一級の滋味に富む本といえる
向島の私娼窟の玉の井に通う語り手
小説家の大江匡の
性的かつ情緒的な趣向の冒険を辿ることが
この本の読み方であるかのように勧められがちだが
その方面ではたいして面白くもなく
せいぜいが
雨に降られて娼婦お雪のところに転がり込んだ際に
語り手が
お雪の耳につぶやいた言葉が
正確にはなんであったのか
そこに面白みを感じる程度のことである
この場面だ
「宇都の宮にいたの。着物もみんなその時分のよ。これで沢山だわねえ。」と言いながら立上って、衣紋竹に掛けた裾模様の単衣物に着かえ、赤い弁慶縞の伊達締を大きく前で結ぶ様子は、少し大き過る潰島田の銀糸とつりあって、わたくしの目にはどうやら明治年間の娼妓のように見えた。女は衣紋を直しながらわたくしの側に坐り、茶ぶ台の上からバットを取り、
「縁起だから御祝儀だけつけて下さいね。」と火をつけた一本を差出す。
わたくしは此の土地の遊び方をまんざら知らないのでもなかったので、
「五十銭だね。おぶ代は。」
「ええ。それはおきまりの御規則通りだわ。」と笑いながら出した手の平を引込まさず、そのまま差伸している。
「じゃ、一時間ときめよう。」
「すみませんね。ほんとうに。」
「その代り。」と差出した手を取って引寄せ、耳元に囁くと、
「知らないわよ。」と女は目を見張って睨返し、「馬鹿。」と言いさまわたくしの肩を撲った。
この後
語り手の大江匡が
どのような性戯を始めたのか
そこは書かれていない
たいしたことはしなかったのかもしれない
ただ
ふつうの性交を行なっただけかもしれないし
逆になにもしなかったかもしれない
いずれにせよ
娼婦に「知らないわよ。」と言わせ
さらに「馬鹿。」と言わせて
肩を撲らせるような言葉とはなんだろう
と興味を惹かれ
ここが
いわば『濹東綺譚』前半の
個人的な興味の焦点となっている
お雪と過ごす時間を1時間と決めたものの
その1時間は
たっぷりと膣の中に居させてもらうよ
とでも言ったのではないか?
これは
性戯の巧者の技のひとつで
男根と膣の内部が溶けあって一緒になってしまうような
悟りそのものの境地に達する
1時間であれ2時間であれ
射精せずに最大限に怒張させたまま膣内に留まるもので
事を急ぐばかりの者にはできない
逆に言えば
互いのからだを愛していないと絶対に続かない所作である
歳の行った運動不足の男がこれをやると
心臓をやられたり
脳血管が破裂したりして腹上死する可能性があるが
うまいぐあいに男根が怒張してくれないという哀しみを味わう者のほうが
おそらく多いだろう
若い男なら
膣内に長時間怒張したものを入れ続けるには
一度か二度ほど射精を済ましておく必要があるかもしれない
もっとも
三度目の精液が溜まる頃に膣内で男根を怒張させ
乱暴な動きどころか
いっさいの動きを止めておく行為は
相手となっている女のからだをどこまで愛しているかの
はっきりとしたリトマス試験紙となる
すでに一度か二度射精してしまった男が
さらに同じ女の膣に男根を入れて1時間も動かずに居るのは
よほどの愛着がなければムリなので
女の側としては男の肉愛を試す最高のしかけとなるだろう
『濹東綺譚』のお雪の言葉
「知らないわよ。」や「馬鹿。」は
ここまで考えさせるという意味で
さすがに性愛に生涯を捧げた永井荷風先生の
面目躍如たるものがある
おなじく性愛文学の第一人者吉行淳之介先生なら
時代がグッと下がるということもあろうが
「知らないわよ。」や「馬鹿。」で止めず
もう少し書いてしまうだろう
芥川賞候補だった川上宗薫先生や宇能鴻一郎先生なら
もっともっと
書き過ぎてしまうだろうか?
丹羽文雄に私淑した
芥川賞候補の富島健夫先生なら
やはり
書き過ぎるだろうが
それでも
さわやかに書くのではないか?
Anyway……
『濹東綺譚』の文明批判は
本の最後のほうの
帚葉翁の話や
それを受けて語り手の大江匡が考える内容に
もっともはっきりと現われる
このふたりとも
明治生れで
大正の世になってからは
あまりの時代と人と社会の変化に
表向きはともかく
心はついて行けなくなっている雰囲気がある
帚葉翁は
非常に味のある人物で
荷風の一面から造形されたのではないか
と思われる
翁は郷里の師範学校を出て、中年にして東京に来り、海軍省文書課、慶応義塾図書館、書肆一誠堂編輯部其他に勤務したが、永く其職に居ず、晩年は専ら鉛槧に従事したが、これさえ多くは失敗に終った。けれども翁は深く悲しむ様子もなく、閑散の生涯を利用して、震災後市井の風俗を観察して自ら娯しみとしていた。翁と交るものは其悠々たる様子を見て、郷里には資産があるものと思っていたが、昭和十年の春俄に世を去った時、其家には古書と甲冑と盆裁との外、一銭の蓄もなかった事を知った。
東京が
深夜になるまで賑やかで
「服部の時計台から十二時を打つ鐘の声」が聞こえると
銀座あたりは
帰り支度の酔客や女給を狙って来る円タクで大混雑が始まる
それとともに
地下鉄の大工事が始まって
けたたましい音が朝まで響き渡ることになる
それを避けて
ふたりは尾張町の角まで歩き
土橋や難波橋を渡って省線のガードを潜って
そのあたりから裏道へ曲がると
2時頃までやっている鮨屋や小料理屋の並ぶ界隈に出る
こんな深夜まで
現代人が飲食をするのを覚えたのは
「省線電車が運転時間を暁一時過ぎまで延長したこと」と
「市内一円の札を掲げた辻自動車が
五十銭から三十銭まで値下げをした事」のせいだ
と帚葉翁は言う
そうして
さらに
こう言う
「この有様を見たら、一部の道徳家は大に慨嘆するでしょうな。わたくしは酒を飲まないし、腥臭いものが嫌いですから、どうでも構いませんが、もし現代の風俗を矯正しようと思うなら、交通を不便にして明治時代のようにすればいいのだと思います。そうでなければ夜半過ぎてから円タクの賃銭をグット高くすればいいでしょう。ところが夜おそくなればなるほど、円タクは昼間の半分よりも安くなるのですからね。」
「然し今の世の中のことは、これまでの道徳や何かで律するわけに行かない。何もかも精力発展の一現象だと思えば、暗殺も姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるにも及ばないでしょう。精力の発展と云ったのは慾望を追求する熱情と云う意味なんです。スポーツの流行、ダンスの流行、旅行登山の流行、競馬其他博奕の流行、みんな慾望の発展する現象だ。この現象には現代固有の特徴があります。それは個人めいめいに、他人よりも自分の方が優れているという事を人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思っている――その心持です。優越を感じたいと思っている慾望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。あったところで非常にすくないのです。これが大正時代に成長した現代人と、われわれとの違うところですよ。」
帚葉翁と
語り手の大江匡は
外で長談義をしているわけにもいかないということで
この後
鮨屋の暖簾を潜るのだが
この時
大江匡は
こんな考察をする
現代人がいかなる処、いかなる場合にもいかに甚しく優越を争おうとしているかは、路地裏の鮓屋に於いても直に之を見ることができる。
彼等は店の内が込んでいると見るや、忽ち鋭い眼付になって、空席を見出すと共に人込みを押分けて驀進する。物をあつらえるにも人に先じようとして大声を揚げ、卓子を叩き、杖で床を突いて、給仕人を呼ぶ。中にはそれさえ待ち切れず立って料理場を窺き、直接料理人に命令するものもある。日曜日に物見遊山に出掛け汽車の中の空席を奪取ろうがためには、プラットフームから女子供を突落す事を辞さないのも、こういう人達である。戦場に於て一番槍の手柄をなすのもこういう人達である。乗客の少い電車の中でも、こういう人達は五月人形のように股を八の字に開いて腰をかけ、取れるだけ場所を取ろうとしている。
何事をなすにも訓練が必要である。彼等はわれわれの如く徒歩して通学した者とはちがって、小学校へ通う時から雑沓する電車に飛乗り、雑沓する百貨店や活動小屋の階段を上下して先を争うことに能く馴らされている。自分の名を売るためには、自ら進んで全級の生徒を代表し、時の大臣や顕官に手紙を送る事を少しも恐れていない。自分から子供は無邪気だから何をしてもよい、何をしても咎められる理由はないものと解釈している。こういう子供が成長すれば人より先に学位を得んとし、人より先に職を求めんとし、人より先に富をつくろうとする。此努力が彼等の一生で、其外には何物もない。
いまの日本が
どれほどひどくなってしまっているか
人心と社会の根腐れは
安倍政権の時に発生したのだとか
いや
小泉政権の頃からだったとか
いやいや
バブルの頃にはすでに
とか
いやいやいや
冷戦構造が終わって
アメリカがひとり勝ちになって図に乗って
日本の富をあからさまに吸い上げるようになってからだとか
いろいろ言われるが
永井荷風先生の語るところを聞くと
すでに大正時代には
この国の人心と社会は
異常人種に満たされていたのがわかる
根腐れの箇所は
恐ろしいほど深いところにあり
もはやどうしようもない
というべきだろう
原爆のふたつや
都心の焼き払い程度では
とてもではないが
根絶できないほどに
根は深いのである