わたくしは元来その習癖よりして
党を結び群をなし、
其威を借りて事をなすことを欲しない。
永井荷風『濹東綺譚』
湯槽に浸って入浴しながら
よく
「銀座百点」を読む
風呂では
濡れると困るものは読めないので
雑に使える雑誌を読む
「銀座百点」は
呉服屋が
毎月送ってきてくれている
九段下に引っ越してから
東京駅や日本橋や銀座方面へは
ほとんど徒歩で行き来するようになったので
銀座もずいぶん馴染みになった
そのかわり
ごく若い頃の自分の街のようだった渋谷へは
年に数回しか出なくなり
新宿にもほとんど行かなくなった
東京の人間は
歳を重ねてくると銀座付いてくる
やはり
銀座が中年の街だからだろう
と思う
若い人たちもいるが
かなりの富裕層の若者たちだろう
富裕層というのは
つまり
老いているということだ
本当の若者は
まだ社会でまったく認められない行為に身心を投じている
現行の状況下で
まったく無視されているから
真の若者はつねに透明である
透明人間にも金はいるだろうが
彼らが得たり使ったりするのは透明の金だ
いまある世の中とは
交わりようもない
自分で進んで入ることはまずないが
連れられて
BULGARIのカフェでランチを食べた時には
驚かされた
4400円もするわりに
量の少ないパスタに小物をあわせたランチを
たくさんの若者たちが食べている
不況だの
若者には金がないだの言われているのに
昼の銀座のBULGARIには
フェラーリで乗り付けて
軽装で高いランチを食べていく若者がいっぱいいる
日本の縮図だろうか
徳田秋声が書いた『縮図』も
「晩飯時間の銀座の資生堂は、
と始まるが
今も昔も
こういうところは変わらないのかもしれない
わたしは
銀座の街並みには馴染んでも
銀座ぶるわけではない
銀座が
どこか精神の鈍い
世界の実相のまるで見えていない
富裕層のオバサマや子弟たちのテーマパークに見えることは
以前と変わらない
商品売り場という観点からは
銀座にとてもよいものばかりがあるのは
疑いようがない
いわゆるブランド品の宝庫だが
ブランド品を買うのは
ブランド品という鎧を必要とする脆弱な精神のみであろう
わたしはフランス女性を30年ほど伴侶とし
彼女は田舎出身とはいえ
パリ大学で長く文学研究や語学をしていたので
日本に来る前はパリジェンヌだったが
わたしが母から貰ったランヴァンのマフラーのタグの部分を
ブランド名が見えないように縫い合わせた
どうしてそんなことをするのか?
と聞くと
ブランド名が見えるものを使うのは恥ずかしいからだ
と言われた
これがフランス女の考え方で
これみよがしにブランド名を見せびらかして使う日本女とは
まったく違うところ
タグは縫い込んだり切り取って捨ててしまったりする
もちろん
フランス女にも
軽佻浮薄な日本女もどきもいるが
ルイ・ヴィトンのバッグでジャガイモを買いに行くような
筋の通った反抗精神の持ち主が多い
アルベール・カミュがデカルトをもじって言った
「われ反抗す、ゆえにわれ在り」が
やはりフランス人のデフォルトではある
銀座への違和感
という点では
わたしたち東京人の大先達である永井荷風先生が
『濹東綺譚』の「作後贅言」で
こう書いている
わたくしは翁(帚葉翁)の談話によって、
街に灯がつき蓄音機の響が聞え初めると、
荷風はここで
慶応に対しても悪態をついているが
中心となっているのは
関東大震災後の銀座の激変のことである
とりわけ
銀座の大阪化や九州化を嘆いている
令和のいまの世になっても
銀座は
なにかというと
銀座銀座というが
なんのことはない
生粋の東京人の鼻には大阪が臭い
九州が臭い
異物が目についてならないのも
こう言われてみれば
当たり前のことだったわけだ
荷風先生は
小石川生まれの身長180㎝(175㎝とも)の東京人だったが
こういう人は
東京のものでない臭気を帯びたものが
わがもの顔して東京でござい!というのなど
すぐに嗅ぎ分けてしまう
京都人が外来者に厳しいのは有名だが
東京人はもっと厳しい
ただ
東京人は口に出さないだけなのだ
神田生まれの母方の祖父は
ちょっとでも東京ふうでない店や駄目な店には
なにも言わず
なんの注意もせずに
ただ
二度と行かない
という振舞い方をした
それが東京人のスマートさであり
極めつけの冷酷というものだ
と母には教えた
その息子である叔父のひとりは
料理屋で
髪の毛一本でも入っていたら
主人を呼び出して作り直しを命じた
それを聞いた祖父は
だからおまえはダメなんだ…
と諫めたという
わたしなら
髪の毛一本では
怒りはしないだろう
叔父とは違う
しかし
祖父とも違うところは
帰る際に
髪の毛がどこどこに入っていたよ
と言い置いておくところか
いい味が出てましたな
とつけ加えれば
京都人になれるかもしれないし
おもろい料理やったな
とつけ加えれば
大阪人になれるかもしれない
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