2024年1月8日月曜日

光景

 

  

だれにも

ろくに読まれない

という

前提があって

ようやく書けるものがある

 

ろくに読まれない

という

このことが

ほんとうに大切なのだ

 

これを

くりかえし

くりかえし

つぶさに

つぶさに

知り

確かめ直してきた

 

正直

だれにもろくに読まれないもの

を書いてきて

ほんとうに

よかった

 

テーマをしっかり定め

論の運びや

文体や

字数まで調整しながら書き上げる文章と違って

テーマも定めず

メモさえ用意しておかずに

いきなり最初の数行を書きつけ

その数行から醸成されていく傾きや

流れに沿って

その後の行に単語を並べていく試みをしてみると

じぶんの意識や

無意識や

それ以外の

心や

思念の軟骨や

細胞間液のようなものまで

単語の上や隙間に浮き上がらせていけて

予期もしなかった

じぶん

なるもの(とそれまで思い込んでいた)の曖昧体の

しくみや秘密に

いくらかは参入できた

 

そうして

単語ならべをし終えた後は

(それをどのように「終える」と判断し決意するのか

   そんなところは未だに不明だが)

数分前や十数分前には

まったく予期もしていなかった

存在もしていなかった単語羅列が残されていて

じぶんながらに

ちょっと楽しい光景だった

 

その光景の前に佇み続けることもなければ

それをふり返ることも

まったく

しないのだが

   (じぶんの残した文字跡を

ふり返り続けるひとを詩人とかいうらしいのだが

きみ

きみ

世界は広大無辺なのだよ

きみ自身なんか

捨てよ)

光景そのものも

それをちょっと見渡すことも

「体験」ではある

 

体験主義者

では

ないけれどね

 

体験さえ

捨てていこう!

 

そう

 

逝ける者よ!

逝ける者よ!

さいわいなるかな!


年末に

新聞から書評を書くように依頼されて

書いたけれど

そちらは

いやおうなく

読まれてしまうものなので

やっぱり

予期もしなかった

じぶん

なるもの(とそれまで思い込んでいた)の曖昧体の

しくみや秘密に

参入することなど

まったく

できなかった


無難無難を心がけるばかりの

なにかの式の

挨拶を

頼まれたような

ものだった






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