髭を少ししか剃らずに
都心まで出かけたことがあった
出がけに鏡を見ながら
ちょっと
顔が暗く見えるかな
と思ったが
無精髭をわざと残した顔で
べつに問題もない
空いた電車に乗った
いくつか目の駅で
乳母車に幼児を乗せて
夫婦が乗り込んできた
私の前に座って
乳母車を通路の真ん中に置いた
ガラガラの車内なのに
どうして目の前に座るのだろう
すぐ向こうなど誰もおらず
広いスペースを使えるのに
…そう思いながら
こちらの足が
乳母車に当たらないように
すこしずらした
傍から見ると
三人の血縁者が向かい合って座り
乳母車を間に置いて
場所をすっかり占めている…
そんなふうだっただろう
しかし
ガラガラの車内で
まわりにはだれもおらず
傍からどう見られたところで
かまわなかった
夫は短パンにサンダルで
パジャマのような柄の
薄い青い格子の半袖シャツ
ボタンが開き過ぎていて
胸元までよれているが
少し暑い日なので
開けているのだろう
髪の毛はぼさぼさで短く
顔は青白くて
白っぽいベールが
かかっている
どこかに
病気があるのかもしれない
ながく入院している人に
こんな顔の人が多い…
妻は大柄で
胸元が少しのびたTシャツ
胸も腰も腹も大きく
たっぷり弛んでいて
ようするに太っていて
顎にも肉がついているが
ほがらかそうな顔
夫がしゃべるのに合わせて
よくうなずき
よく夫を見
本当に夫婦かと思うほど
愛想がよすぎるところがある
夫婦にあるはずの
慣れきった無反応さや
応えるような
応えないような
しかしそれで
ちゃんと応えている仕草
ではなく
まるで久しぶりにあった
彼氏のように
夫の顔をしげしげと見ている
子どもは
ひょっとして
ふたりの子ではなく
どちらかの子で
このふたり
いつも一緒にいる
夫婦では
ないのかも
とも思わされる…
しばらくして
ふたりがちょっと
ヒソヒソ話はじめたので
自然に耳が向いた
なにを話していてもいいのだが
話し方に
自然と誘われる
ヒソヒソ話は
ほんとうに
他人の注意を集める
もっともいい方法のひとつ…
断片的に
聞こえてくる言葉から推すに
どうやら私について
話しているらしかった
女がなにか言っては
それに男が反対し
いや、なになにだ
いや、どうだ
こうだ
と言っている
顔の話をしている
いや、顔が暗い
いや、生気がない
いや、…才ぐらいだろう
それにしては
若さがない
こういうのはダメだ
よくない…
…本当に私のことを
言っているのだろうかと
目をあげると
こちらをみつめている男と
一瞬
目があった
だからといって
男が
私のことを言っていたとも
断定できない
しかし
こんな時に感じる
言われているっぽさ
これには
確かな感触があって
やっぱり
私のことかなと
判断は傾きがちになる
私の歳より
二〇歳も下の
「いや、…才ぐらいだろう」
という言い方を思えば
やっぱり違うか
とも思うが…
見知らぬ人に
どう思われようと
どう見られようと
どうでもいいことではあるが
そうか、
やっぱり
顔が暗く見えるかな
シャツの色合いにもよるかな
…などと
思いは勝手に進む
そう見られ
どう評価されようが
どうでもいいのではあるが…
ともあれ
これだけのこと
電車のなかで起こったのは
しかし
この時を期に
思った
見かけから
他人を評定するようなことは
すっかりやめよう
と
今後は意識して
すっかり
そういうことはやめよう
と
私の本質を
いかにも見抜いて
評しているような
言い方だったが
それがなんとも滑稽で
小さく
せせこましく
侘びしかった
これまでの私も
どれほど
こういうことを
やってきたことか
じかに相手を
傷つけるようなことでもなく
現実にはなんの問題も起こさないことだが
自分の側の
判断する部分というものを
そこを流れる液を
純であるべきそれを
ひどく
損なってしまうように感じた
遅まきながら…
なのかもしれない
ほんとうに
これはやめよう
もう
すっかりやめてしまおうと
つよく
思ったのだった