2012年9月30日日曜日

ほんとうにこれはやめよう もう すっかりやめてしまおう




髭を少ししか剃らずに
都心まで出かけたことがあった

出がけに鏡を見ながら
ちょっと
顔が暗く見えるかな
と思ったが
無精髭をわざと残した顔で
べつに問題もない

空いた電車に乗った

いくつか目の駅で
乳母車に幼児を乗せて
夫婦が乗り込んできた
私の前に座って
乳母車を通路の真ん中に置いた

ガラガラの車内なのに
どうして目の前に座るのだろう
すぐ向こうなど誰もおらず
広いスペースを使えるのに
…そう思いながら
こちらの足が
乳母車に当たらないように
すこしずらした

傍から見ると
三人の血縁者が向かい合って座り
乳母車を間に置いて
場所をすっかり占めている…
そんなふうだっただろう

しかし
ガラガラの車内で
まわりにはだれもおらず
傍からどう見られたところで
かまわなかった

夫は短パンにサンダルで
パジャマのような柄の
薄い青い格子の半袖シャツ
ボタンが開き過ぎていて
胸元までよれているが
少し暑い日なので
開けているのだろう
髪の毛はぼさぼさで短く
顔は青白くて
白っぽいベールが
かかっている
どこかに
病気があるのかもしれない
ながく入院している人に
こんな顔の人が多い…

妻は大柄で
胸元が少しのびたTシャツ
胸も腰も腹も大きく
たっぷり弛んでいて
ようするに太っていて
顎にも肉がついているが
ほがらかそうな顔
夫がしゃべるのに合わせて
よくうなずき
よく夫を見
本当に夫婦かと思うほど
愛想がよすぎるところがある
夫婦にあるはずの
慣れきった無反応さや
応えるような
応えないような
しかしそれで
ちゃんと応えている仕草
ではなく
まるで久しぶりにあった
彼氏のように
夫の顔をしげしげと見ている

子どもは
ひょっとして
ふたりの子ではなく
どちらかの子で
このふたり
いつも一緒にいる
夫婦では
ないのかも
とも思わされる…

しばらくして
ふたりがちょっと
ヒソヒソ話はじめたので
自然に耳が向いた
なにを話していてもいいのだが
話し方に
自然と誘われる
ヒソヒソ話は
ほんとうに
他人の注意を集める
もっともいい方法のひとつ…

断片的に
聞こえてくる言葉から推すに
どうやら私について
話しているらしかった
女がなにか言っては
それに男が反対し
いや、なになにだ
いや、どうだ
こうだ
と言っている

顔の話をしている

いや、顔が暗い
いや、生気がない
いや、…才ぐらいだろう
それにしては
若さがない
こういうのはダメだ
よくない…

…本当に私のことを
言っているのだろうかと
目をあげると
こちらをみつめている男と
一瞬
目があった

だからといって
男が
私のことを言っていたとも
断定できない

しかし
こんな時に感じる
言われているっぽさ
これには
確かな感触があって
やっぱり
私のことかなと
判断は傾きがちになる

私の歳より
二〇歳も下の
「いや、…才ぐらいだろう」
という言い方を思えば
やっぱり違うか
とも思うが…

見知らぬ人に
どう思われようと
どう見られようと
どうでもいいことではあるが

そうか、
やっぱり
顔が暗く見えるかな
シャツの色合いにもよるかな
…などと
思いは勝手に進む
そう見られ
どう評価されようが
どうでもいいのではあるが…

ともあれ
これだけのこと
電車のなかで起こったのは

しかし
この時を期に
思った

見かけから
他人を評定するようなことは
すっかりやめよう

今後は意識して
すっかり
そういうことはやめよう

私の本質を
いかにも見抜いて
評しているような
言い方だったが
それがなんとも滑稽で
小さく
せせこましく
侘びしかった

これまでの私も
どれほど
こういうことを
やってきたことか

じかに相手を
傷つけるようなことでもなく
現実にはなんの問題も起こさないことだが
自分の側の
判断する部分というものを
そこを流れる液を
純であるべきそれを
ひどく
損なってしまうように感じた

遅まきながら…
なのかもしれない

ほんとうに
これはやめよう
もう
すっかりやめてしまおうと
つよく
思ったのだった



2012年9月28日金曜日

九月句 (七)

  

九月二十二日

秋彼岸来る日来る日の墓参り

九月二十三日

邯鄲の留まれば腕もそのまゝに

秋分の日や肝焼きの旨き店

秋郊や昔の恋とカフェオレと

見飽かざる滅びのすがた秋の苑

秋嶺を見つむるだけの救ひかな

秋霖の庭の戸あけて夜の電話

新走り目当ての会の立てつづけ

秋袷をんなは愁ひなきもよし

運動会終へて画像の数百枚

古酒や三軒茶屋の赤鬼に


2012年9月27日木曜日

嵐が過ぎて行った…

  

嵐が過ぎて行った

激しかった雨が上がっては
また降り
また弱まったが
小雨が降り続いている

カーテンに軽く触れながら
外の様子を見ている
涼しい空気が
窓から入って来ている

住んできた様々な家
あの窓
この窓から
こんなふうに
嵐の後の
まだ雨の降る外を
眺めていたことがある

その頃に
親しかった人
ともに暮らしていた人は
外出中で

あるいは
台所のほうにでも
いて

まだ
あの人も
この人も元気で

あの頃
気がかりだった事
煩わされていた仕事
どれもこの先
どうなっていくか
予想もつかぬ
ままで

そうして
さまざまな時々を
思いめぐるうち
ある一瞬に
思いは収斂されていく

それまでの生活が
すっかり壊れ
避難所のように身を寄せた
違った場所で
違った人と
違った自分を
急ごしらえしながら
迎えた
はじめての嵐

雨が小止みになったら
買い物に出ようと
薄い緑のカーテンに触れて
外を見ていた
瞬間

窓から入って来る
涼しい空気を腕に受けながら
数十年の後
いつしか
自分に
振り返られるとも知らず
外の様子を見ていた…

破れ落ちそうに
重い心で
方途を失って
窓越しに
立ち尽くしていたが

しかし!

身も心も
なんと軽い
軽い
若者、わたしよ
踏み越え
吸い込んでいくべき
長い時間と
空間の数々とを
前途にいっぱいに
抱えて…


2012年9月26日水曜日

時間は時間

  

数日続く
たまの休みの日

あれもやろう
これもやろう
片づけもしよう
模様替えもしよう
など思いながら
結局なにもせず
ちょっと読み出した
小説なんぞに引きずられて
いつのまにか夕方

やるべきこと
やりたいことが
あああ
できなかった
むなしく
一日終わってしまった
など思うが

あれもやったり
これもやったり
片づけもしたり
模様替えもしたり
そんな過ごし方が
ほんとうに
価値があるのか
それだって
ずいぶんと怪しい

ふかく
ふかく
確信のようにあるのは
どう生きたって
いいんじゃないのか
ということ

なにで
どんなふうに
埋まろうと
時間は
時間
生は時間そのもので
内容物ではない

確信のように
こんな気持ちがあるのだが
間違っているかね

秋草でいっぱいの
この野原
ここに寝ころがっているより
シャンゼリゼを
ふらついているほうが
ほんとうに
価値があるなんて
思えないんだけどな

どちらでも
いいんじゃないかと
思うんだけどな


2012年9月25日火曜日

もうすっかり忘れていたのに



仕事に出ない日中だった

片づけ事をおおかた仕終えると
急に眠くなり
ひろびろと畳に横になった

病気がちの女友だちに
このところ
あれこれとやってあげて
忙しかったなあと思いながら
メールを見ていると
そのひとから
フラメンコ・ディナーへの
招待が来ていた
OOOO円ぐらい
ともあって
なあんだ
自分の分は払ってネという
べつにかまわない
いっしょに
スペイン料理を食べに行けるくらい
回復したのがうれしく
治って本当によかったな
と思いながら
返信をしようとした

…と
急に水の底から
浮き上がってくるように
目が覚めていった
メールをくれた女友だちは
もう二十年ほど前
職場を移ったのを機に
音信の絶えてしまったひとで
故郷で見合いをするとか
しないとか
病気もなかなか治らないとか
そんな電話話をしたのが
最後だった

職場の同期で
ユーモアのある美人だったが
忙しい仕事の合間合間
いつも兄妹のようにしゃべって
恋に進むような間柄ではなかった
明るいひとなのに
面倒な病気があって
月に一二回は大病院に通っていた

もうすっかり忘れていたのに
夢の中であっても
フラメンコ・ディナーなんかに
誘ってきたりして
…と
畳に寝ころびながら
ぼんやり思っているうち
なにか大事なものが
心にひさしぶりに
流れ込んだように感じ
あたたかさが
気持ちの中にあった

死んだかもしれないなあ
あのひと…

そう思ったが
わびしい感じはしなかった
ひさしぶりに
つい今しがたまで
気持ちに受けていた
あたたかさが
時の経過であろうと
ながい不通であろうと
死であろうと
すべてを
やわらかいものに変えていた




2012年9月24日月曜日

つよがりをしてきたけれど



つよがりをしてきたけれど
ほんとは大地震のあと
政府や役所のひどさを見続け
原発事故の処理のひどさも見せつけられ
こころはほんとに
底の底まで
折れてしまっていた

放射能汚染された産物を
食べて応援とか
なんとか
そんなふうに
大手スーパーや
デパートまでが売って

その内実
産地からは
ひどい捨て値で買いたたき
都会では
ふつうの値で売りさばき
そんなやりくちを
さんざん聞かされて
こころはほんとに
いやになってしまった

むかしも今も
この国が
ほんとはどれほど
ひどいことをしているか
よく知っていたけれど

大災害の後でも
被害を利用しつくして
商売ばかりするとは
思っていなかったから

こころはほんとに
傷心しつくしてしまった

大地震と原発事故から
一年半経って
夏の暑さも
どうやら
ほんとに収まりはじめ
この頃
しずかな
涼しい時も訪れるようになったが

だめになってしまった
こころの底の底を
すごく感じるようになってきた

もう
この国に
ついていく気持ちには
なれないような…

それとも
なれるかな、
まだ

なれないような…

なれるかな
まだ…

いや、
なれないような…

そんな自問も
もう
どうでもよくなってきて
いる


2012年9月23日日曜日

九月句 (六)



九月二十二日

いなびかりこの昏冥の国谷に

秋湿り靴の起毛のわだかまり

数珠玉と見れば集めし頃ありき

草の実を秋の子どもに譲るべし

貝割菜秋のものとは知らなんだ

秋場所や夕空凄き結び頃

茸狩まあ関東はやめておけ

砧打つ宵といふものある昔

鹿威し酔ひ足りぬ店の中庭に

秋簾老いとは何処あたりから

信じ得るもののひとつに秋の空



2012年9月22日土曜日

九月歌 (七)



九月十七日

「日本人を殲滅すべき」との横断幕アウディ代理店嬉しげに出す

ウヨクはしやぎサヨクこぞつてだんまりを決め込むテーマ尖閣紛争

理性的たれとか仲良くしろだとかまづは暴徒に言つてみたまへ

大国はつねに他国に戦はせるものなるに東アジアときたら

ヤクザ者が持ちゐし島の後始末ヤクザ者らでつけてほしいね

尖閣は目くらましにてもんじゅにも復興財源使ふ決定

大本営発表「尖閣接続水域ニ中国漁業監視船十隻」

原発を放棄してはならぬ慎重に再稼働せよとアーミテージ報告書

友好のためなら韓国での謝罪も吝かならずと今上天皇

九月二十日

さりげなく日経にあり給与所得者の社会保険料年間36万円負担増

尖閣は目くらましにて強引に人権救済法案も閣議決定