ぼくらはふたりで『アンチ・オイディプス』を書いた。ぼくらそれぞれが複数だったから、すでにたくさんの人間がいたわけだ。
(ドゥルーズ+ガタリ『ミル・プラトー』、序文『リゾーム』、1980)
(ドゥルーズ+ガタリ『ミル・プラトー』、序文『リゾーム』、1980)
いつも使っている小さめのコップがなくなってしまった。
水を飲みたい時などに使う。
多過ぎず、小さ過ぎず、ちょうどいい量が入る。
それが、ふいになくなってしまった。
どこをさがしてもない。
割ってしまったわけでもなく、
家のどこかに置き忘れるはずもなく、
ふいに。
(感動なしにものを書くことはできるだろうか。
(感動は、心のゆがみから来る。心の豊かさを表わすとは言えない。
(心のゆがみと合ったカーブを感情が描く時、感動が起こる。
(たとえば私はいま、なくなってしまったコップのことを記した。
(そのことに感動したので、記した。心の動きを感動とよぶ。
(怒りも感動、悲しみも感動、倦怠も感動、落胆も感動、喜びも感動。
(それまでの状態との心の差、差異が感動であり、
(一日にたえず心は感動しているともいえる。
(が、頻繁に起こるような感動は大きな常態の一部として認識されるため
(感動とは見なされなくなっていく。だから、
(子どもや青年が感動しやすいのは当然で、彼らは
(まだ小規模の感動を組み込んだ常態を保持していないからなのだ。
(若者に好まれる歌謡曲を大人がくだらないと思うのは、
(このためでもある。感動しやすいというのは、
(経験不足ということでもあるか……
いつも使っているコップは
いつも使っていたコップは
なくなってみて初めて、どれほど使いやすかったかが思われてきた。
使いやすかったとわかってきた。
まだどこかから出てくるかもしれないが、
いまなくなっていて、
なくなっていることで、
どれほど使いやすかったかがわかる。
なくなったことで
あのコップの使いやすさが
ある。
ありありと
ある。
どこへいってしまったかと思う
と同時に
どこから来たコップだったかと思う。
いつからか
ぼくが手に入れて
持っていたものだったか、
それとも
妻が持っていたものだったか。
ぼくと妻は
つい五年前から暮らしはじめたのに
もうこんなことがわからなくなっている。
たったひとつの
毎日使っていたコップについてさえ
こんなにわからなくなってしまっている。
わからなさが
ぼくらの生活の当然のパーツのひとつとなって
組み込まれていた。
どこから来たかわからないコップと
ぼくらは平然と
生きてきていた。
つい五年前から暮らしはじめたのが
どうしてだったか
はじめから
いまも
ぼくにはわからないままになっている。
妻と会ったのは
暮らしはじめる七カ月ほど前だが
それ以前には彼女の存在は
ぼくの人生にも意識にも心にも
片鱗さえなかった。
それがどうして
いっしょに暮らすほどになったのか
たった七カ月ほど経っただけで
それがわからない。
わからないまま
ぼくは執拗に拒み
遅らせようとしたが
わからないままに暮らしはじめた。
いっしょに暮らす
ことになりそうな人は他にたくさんいたし
婚約のようにもなったし
現にいっしょに住んだこともあったし
何本もの糸がこんがらがったまま
この糸のうちのどれが
妻と呼ぶものになっていくのか
まったくわからずに途方にくれていたのに
これまで一度も触れたことのない
未知の糸
なじみのない顔かたち
求めたことさえない性格
それらがふいに合わさって現われて
暮らしはじめたのだった。
はじめからか
いつからか
そうしてあのコップも同居するようになり
(感動というのは
(それほど大したものではない。
(どうでもいいような言葉、さほどの興味もないような言葉を
(口ずさんだり、書き記してみたりするだけでも
(感動はすぐに起こってくる。言葉のひとつひとつは
(あらゆる言葉に繋がっていて、あらゆる言葉はかならず
(全宇宙に繋がっている。
(ひとつ、ふたつほどではなんとも感じられない言葉の布石が
(次のひとつ、次のふたつで
(心を震わせたり、力を溢れさせたりする。それは
(かならず起こる。
(つまり
(感動が起こる。
ぼくはまわりを見まわす
見まわし直す
生活のためのもの
いくらかの気晴らしのためのもの
ちいさな夢を見るためのもの
それらが溢れ
ぼくの住まいのかたちを成している
これらがどのようにやってきたか
ひとつひとつに物語があり
理由があり
夢があり
喜怒哀楽があった
すでにたいへんなことだったのではないか
すでにぼくは
ぼくの身のまわりのこれらさえ
すっかりは把握できない
たいへんな溢れかえりのなかに
すでに
いた……
生きるとはこれらをすべてなおざりにしていくこと
たとえば置物の壺の
いつも一面だけを見て
春夏秋冬を送り
裏面も側面も見ないで過していくこと
どうしたらいいのか
ぼくは
たったひとつの置物さえ
全部の面を
春夏秋冬の朝昼晩
洩らさずに
眺め続けていきたいという気持ちに
心が掻き毟られる……
どうしたらいいのか
ぼくは
これらをすべて
なおざりに
せず
なお生きる
とは
なお生きる
には
うしなわれたコップさえ
なお
あり続け
さらに
ある
いっそう
ある
このきちがいじみた豊饒のなかで
このきちがいじみた豊饒に
じきじきと
じきじきと
じきじきと震える心かかえて
からだ
かかえて
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