冬に入ってからこの貧しい小さな農場に来て
たとえば身体の鍛錬などするのには絶好の場所でもあろうに
ときどき長い散策をするほかはなにもせず
本をあれこれ手に取ってみたり
お茶やコーヒーを代わる代わるに入れて啜ってみたり
昼過ぎにすこしなにか食べてみては
ちょっと眠気や疲れを覚えて横になってみたり
なんだかすっかりと最晩年の老人になりきってしまったように
この世界に居るとも居ないともつかない過ごし方をしていて
窓から見える草原に靄が立ちこめていたり
霧が流れていたりする時など見とれてしまって
ソファに身を投げ出したままいつまでも眺めていたりする
ふと思いついて手に取った本には
ホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』もあって
この短編は学生時代にすでに読んだはずなのに
内容を、というより、内容が衝いてくる核心を忘れてしまっていて
才能ある文学者が創作活動を放擲するに至った理由の表白が
いま読み直してみると本当によくわかる
わたしの症状といえば、つまりこうなのです。
なにかを別のものと関連づけて考えたり話したりする能力が
まったくなくなってしまったのです。
まずはじめは、高尚であれ一般的であれ、
ある話題をじっくり話すことが、
そしてそのさい、だれもがいつもためらうことなく
すらすらと口にする言葉を使うことが、
「精神」「魂」あるいは「肉体」といった言葉を口にするだけで、
なんとも言い表しようもなく不快になるのでした。
宮廷の問題や議会での出来事、その他なにごとについても
判断を下すことが不可能になっているのに内心気づきました。
このようにフランシス・ベーコンに書くバース伯の次男の
フィリップ・チャンドス卿の思いは
20世紀初頭のオーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに生まれ て
これまで使い慣れてきた言語による表現の限界を痛感し
まったく別の言語表現を模索していたホフマンスタールの
苦悩の表白そのものでもあっただろうが
ヨーロッパの言語表象のあり方全体の変質の象徴でもあったろう
よほど旧弊な思考者や表現者でもないかぎり
たしかに20世紀においては、「精神」「魂」「肉体」 といった言葉を
安易に使うことはできなくなっていくのだから
ちょうど、以前に拡大鏡で小指の皮膚を見たとき、
溝やくぼみのある平地に似ていたのと同じように、今や
人間とその営みが拡大されて見えたのです。
もはやそれらを、なんでも単純化してしまう習慣的な眼差しで
とらえることはできませんでした。
すべてが部分に、部分はまたさらなる部分へと解体し、もはや
ひとつの概念で包括しうるものはありませんでした。
個々の言葉はわたしのまわりを浮遊し、凝固して眼となり、
わたしをじっと見つめ、わたしもまたそれに
見入らざるをえないのです。
それは、はてしなく旋回する渦であり、 のぞきこむと眩暈をおこし、
突き抜けてゆくと、その先は虚無なのです。
このような問題に才能も教養も溢れんばかりの詩人が直面して
このような小説を書き上げてしまうような、そして
このような作品を正面から真っ当に受止めてくれるような読者のい た
20世紀初頭のウィーンとはなんと恵まれた空間だったか
と21世紀トーキョーにある身としては羨ましくなってしまうが
もちろんホフマンスタールは「恵まれた」と見えてしまう
そんな環境の中でも先鋭的に孤絶していたのだろう
それ以来、
あなたには理解していただけないような生活をおくっています。
精神も思考もなく日々が流れてゆきます。
シェイクスピアであったのではないかとさえ言われる
フランシス・ ベーコンに宛ててこう書き送るチャンドス卿の孤絶には
ホフマンスタール自身のそれが反映されていないわけもない
そういう者はおそらくつねに別の言語へ
言語とはもはや見なせないかも知れない別の言語へと向かわねばな らず
チャンドス卿もこう締めくくっていくほかない
来年も、その次の年も、いや全生涯にわたって、
もはや英語でもラテン語でも
本を書くことはあるまい、 と感じました。
(…)物を書くばかりでなく、また考えるために
わたしに与えられているように思える言葉は、
ラテン語でも、英語、イタリア語、スペイン語でもなく、
単語ひとつさえ知らない言語であり、
物言わぬ事物が語りかけてくる言葉、ひょっとすると
いつの日か墓のなかで、見知らぬ審問者を前にして
申し開きをするときに使うかもしれない、そうした言葉
……
チャンドス卿は、それでも
もう人界の言語でじぶんは書かないだろうと告げる相手として
フランシス・ベーコンという
「精神の最高の恩人、当代随一のイギリス人」たる宛先があって
なんと幸福であったかと思えてならない
彼以外のふつうの人々と同じく
わたしの場合にしても
こんな表白の宛先はじぶん自身でしかなく
じぶんの思いをなんとか最後の此岸の言葉に載せながら
ほかならぬじぶん自身へと向けて小さな舟を押し出しながら
いつのまにかすっかり日も暮れて暗くなった
というより、漆黒となった窓の外に
暮れがたの寒さの訪れもひしひしと感じとりながら
ときどき音を立てて爆ぜる暖炉の薪の燃え上がりを黙って
静かに見ているほかには為すすべもなかろう
*ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』の訳文は、 岩波文庫の檜山哲彦訳を使用した。
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