どうしたんだろう、ぼくは?
今日は老人みたいじゃないか…
フランソワ・トリュフォー
『恋のエチュード』エピローグ
Mais qu’est-que j’ai ?
J’ai l’air vieiux aujourd’hui.
François Truffaut
《Les Deux Anglaises et le Continent 》1971
すこし時間に余裕ができると
暮れがたに風呂を立てて
しばらくのあいだ
ぼんやり浸かっていたくなる
風呂の白い空間で
たゞ湯ざわりを感じている
浸ってみている
捨てないでおいた蜜柑の皮を
袋に入れて湯に投じてあるので
浴槽の蓋を開けると
香りが立ち上る
たゞの蜜柑の皮から
こんないい香りが
と思うほどのちいさな豪奢
湯から出ると
からだが奥から温まっていて
裸同然のかっこうで
廊下や部屋を行き来してみても
冬至も過ぎた冬場というのに
春うららの頃のようで
寒くもさびしくもない
Tシャツ程度をひっかけて
真夏のような短パンで
暗くなり出したヴェランダに出ると
雲ひとつない壮大な夕暮れが広がっている
渋谷から赤坂や六本木のあたり
ずいぶんな夕映えで
東京タワーも濃いオレンジ色の中に
すっかり包まれている
入浴中から風呂の戸を開けっぱなして
バッハのブランデンブルクをかけていたが
出てからチェンバロ協奏曲に替えた
BWM1060の第二楽章が
どうしようもないほど切なく流れている
新バッハ・コレギウム・ムジクムの
クリスティーネ・ショルンスハイムの
くっきりとごまかしのないリズムを刻む
しっかり大地に足をつけた感じの
頑丈な頼りがいのある悲壮さが美しい
チェンバロの音へのわたしの愛着は
わたしの親しかった女たちの
ほとんど誰もが共有してくれなかった
友ででもあるかのようであったり
親しかったかのような人たちも
バッハは好きかと問えばYesとは言うものの
わたしほど偏執的に好きな人は稀だった
わたしとてカンタータやオラトリオの類は
年がら年中聞いているわけではないので
カンタータ狂いやオラトリオ狂いから見れば
インチキなバッハ愛好者かもしれない
わたしはひとりでチェンバロやバイオリンや
ヴィオラ・ダ・ガンバやコントラバスや
オーボエなどのバッハに偏執していくまでだ
二十年前にドラマのような破綻を生きた
十五も若かった愛人はピアニストで
じぶんの演奏したショパンを録音してきて
わたしから感想を聞こうとたびたび望んだ
信州にふたりで冬の旅に出たときも
バラード第4番の弾きぐあいを聞かせようと
レンタカーの中で録音テープをかけた
それはそれでよかったし熱演だと思ったが
ロマン派よりもバロック好きのわたしは
途中で彼女のショパンの録音を止めて
じぶんでウォークマンに入れてきていた
トレヴァー・ピノックの最盛期の演奏による
バッハのチェンバロ協奏曲をかけ始めた
彼女のショパンは後でちゃんと聴くよ
ともちろん言ったのだがショックだったらしい
ちょっと窓を開けるとガラスが曇るような
冷えた信州の夕暮れの田野のなかの道を
ふたりの車はホテルに向かって走っていて
窓外にときどき見える林や森の暗いかたまりが
時代もなにも超え逸脱した別世界を構成していた
別離のあと6,7年ほど経ってから
一年に一度だけ誕生日の祝いをLINEで交わすようになったが
かつてのピアニストは音楽をすべてをやめて
四人の子育てに翻弄され続ける母となって
LINEに載せている写真もディズニーランドの城や
飼っている犬のポートレートであったりする
夫となった男は中途半端な音楽家などに価値を認めない人で
ソプラノ歌手だったが有名にはなれなかった彼女の母との交流も
彼女がピアノに触れることも家庭では長い間封印されていた
娘が中学に入った頃からすこしピアノも解禁され出したらしいが
音楽専攻だった彼女でさえ今もバッハのチェンバロは
わたしのように偏愛したりはしないはずだろう
そうはいってもゴールドベルク変奏曲程度はピアニストの基本なの で
街路樹の枯れ葉の落ちかかる頃の道玄坂の
まだその頃あったヤマハ楽器店の店頭のピアノで
グールドの凄さなどしゃべって素人さ丸出ししていたわたしに
楽譜もまったく見ないで即興でゴールドベルクの数曲を
グールド風や他の数人のピアニスト風に難なく弾いて見せてくれた 光景は
今でも鮮やかに目の裏あたりの記憶庫に焼き付いている
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