2019年12月9日月曜日

深夜の入浴



3度から13度ほどの気温だった今日も、暖房は使わずに過ごした。
使ってもよかったのだが、必要を感じなかったのである。
日曜日、夜、ひさしぶりに風呂を立てて、遅くなってから入浴する。
かねてから捨てないで乾かしておいた蜜柑の皮を、まとめて袋に入れ、
湯に投げ込んでおく。しばらくしてから、そこに入る。
熱くもなく、温すぎずもない湯に、十分ほど、というつもりで入るが、
毎月送られてくる「銀座百点」を気まぐれに捲りながら浸かっていると、
どうしても五分、十分と長めになってしまう。歳時記ほどの小ささと、
重くないようでいて、クラスのある蘊蓄に富んだ記事が、
深夜のひっそりした入浴には、ちょうどよい。ひょっとしたら、
最良の読書の環境はすべて、「銀座百点」
捧げられているかもしれない。

読んでいるうちに、うとうとしてくることも多い。
前の住まいの浴室ではよく寝落ちして、雑誌を水没させてしまっていた。
あれは本当は寝落ちというようなのんびりしたものではなく、
じつは気絶しているので、そのまま顔が浸かれば溺死する場合があると、
健康番組でやっていたのを聞いて、反省したことがある。

湯から出ると、さっきより体が温かくなっていて、さすがに、
入浴の効果というものはすごいと思う。入浴前のように着込んだら
ずいぶんと汗をかいてしまうから、一枚は着るものを減らして、
薄着のまま、動く。夜の入浴が済んでも、
やるべきことはあれこれとあり、
部屋のあちらに行っては、また、こちらに戻ってくるのをくり返す。
なにがどうというほどのものでもないのに、忙しく、「動く」。
ただ生きているというだけのことなのに、こんなにも忙しく、「動く」。
これは、ほんとうにどうかしている、と、いつも思うのだが、
この世というのは、どうかしているというのが本性なのだろうか、
あらためて、わたしのように驚いたり、嘆いたりする人は、
どうやら、世間には、あまりいない。

油汚れした夕食の食器やフライパンのたぐいを洗剤につけておいたので、
それらを洗い、すこし溜めてしまっていた洗濯を済ますべく、
洗濯機をまわす。洗濯機は勝手に水を注入してくれるが、
どういうものか、いつも少なめにしか
水をいれてくれないので、まわしはじめのうちは、
たびたび水の加減を見て調節するので、けっこう気ぜわしい。
ちょうどよい水量でまわり出したので、一息つきに机にやってきて、
パソコンをつけて、こんなものを書き出してみたりしている。

すこし温かいものを飲みたくなったが、コーヒーも飲みたくないし、
重いものもいやなので、ほうじ茶を淹れてみる。
台所に戻って湯を沸かし、スプーンに二杯ほどの一保堂のほうじ茶を、
耐熱ガラスのティーポットに入れて、湯を注いで、待つ。
夕食に飲んだ赤ワインの壜が出しっぱなしになっているので、
冬でもあるし、冷蔵庫には入れまではしないものの、
どこか隅に下ろしておこうと思うが、待てよ、
今日のこのワインはけっこう好みの味だった、と思い直して、
ボルドーのオ・ダス(Haut d’As)であるのを確認する。
高くもないのに、飽きないしっかりした味で、
重くもなく、媚びても来ない。
個人的には、普段飲みの定番に加えたい、と思ったりもする。

洗濯機がまわり終わるまで、まだ、四十分ほどはかかるだろう。




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