2021年6月21日月曜日

べつに高価でも特別でもない小さなカップ

 

 

Je cherchais une âme qui me ressemblât, et je ne pouvais pas la trouver.

  Comte de Lautréamont Les chants de MaldororChant Deuxième

 

ぼくは自分に似た魂を探していたが、見つけられないでいた。

ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』第二歌

 

 

 


あえて小さなカップで

いちいちコーヒーを作って飲むようになってからは

よく使うのは

白地に

青の濃淡の線で花々の描かれた

小さなカップ

 

把手は金に塗られているが

古いカップなので

金はだいぶ剥げている

口をつける縁にも金の細い線が走っていたが

これもだいぶ剥げてしまった

 

こんなことを記そうと思ったのも

飲みさしのコーヒーが

ほんの少し

底に残っているさまを今見て

ちいさな趣きを

感じたものだから

 

付属のお皿は

ホタテ貝のかたちで

濃紺に塗られているが

こちらの色は

まったく剥げずに

手に入った頃の姿を保っている

 

高級品でもなんでもないが

おそらく

30年以上は食器棚にあって

はじめの頃は

来客の時などに時々使い

今は自分の日々の使用のために

日に何度も使う

 

たしか4客あったはずだが

取り出しやすくしているのは2客だけで

他の2客は

はて

どうしたのか

食器棚のどれかの棚の奥のほうに

押し込んでしまっているのか

壊れて棄ててしまったのか

この頃

あまり目につかない

 

自分でわざわざ

買ったものではないのだけは

確実だが

どこから手に入ったものだったか

それは不確実

 

だが

なんとなく覚えているのは

30年以上も前

いっしょに住んでいたエレーヌが

フランス語を定期的に教えていた裕福な奥さまたちの

どなたかから

ある日箱ごと貰ってきたこと

それは聖心だか白百合だかの卒業生の奥さまたちで

集まるのはだいたい

日吉のマダム杉本のお家

がつがつ勉強するような集まりではなくて

エレーヌがコピーしていった新聞や雑誌の記事を読んで

フランス語講読の復習をするような集まり

いったん読み終わるとティーパーティーになって

コーヒーや紅茶やケーキなどを囲んでの

夕方までの歓談の時間となった

文芸評論家の奥野健男さんや

エジプト学の作家酒井傳六さんの奥さまたちもいて

新しい本をご主人が出すと

エレーヌにもかならず贈呈と相成った

 

ぼくやエレーヌがパリに行く時は

かつてはヴィクトル・ユゴーも住んだドラゴン通りの

四階の家にいつも泊めてくれたイレーヌ・メニユも

日本に来た時はマダム杉本と会い

同年代の友人どうしのようにつき合っていたが

マダム杉本はしゃべるほうはからっきしダメなので

どこかのカフェにぼくが行って

通訳のまねごとをしたこともあった

 

そんな誰もかれもが

もう

みんな死んでしまって

べつに高価でも特別でもない小さなカップが

あの人たちすべてを

ほんの少し

飲みさしのコーヒーが

底に残っている今

ぼくに

思い出させている





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