2021年6月30日水曜日

神保町で寄り道をしなければの話ではあるが



千秋楽の前の日

鶴屋南北の『桜姫東文章』を見に行った

 

玉三郎と仁左衛門による上演は

さすがに

もうこれっきり

見られないだろうと思って

よぉく

見た

(なにせ

(仁左衛門は今回

(清玄・釣鐘権助・大友常陸之助頼国の三役を演じている

(あの年齢で大変な負担なのだ

 

この劇は何度か見ているが

南北のものの中でも

バロック性横溢の

こってりと複雑な劇なので

やはり

覚えていない箇所が

いっぱい

 

そこが

また

楽しいのだが

 

よくわからないまゝ

現実のように

舞台で

勝手に進んでいってしまう

というのが

南北のような

こってり歌舞伎の

いいところ

 

それに

よく思い出す

大学で助手をやっていた頃

よく会った演劇科の助手は鶴屋南北の研究者で

趣味が合って

いろいろ話したものだった

いつからか

やりとりしなくなって

どこに行っちゃったのやら

もう

わからないが

 

帰りは

東京駅に出て

知らぬうちに伸びて

繁茂繁殖している

駅地下の商店街を見てまわり

オワゾに出て

いつものように

丸善で洋書を見る

持っているLattès版の『ウージェニー・グランデ』が

ちょっと文字が小さめ過ぎるので

folio版でも買い直そうか

と見ていたが

二冊並んでいたうちの

一冊が599円ぐらい

もう一冊が899円ぐらいで

あいかわらず

丸善はトンデモな値付けをしていやがる

と思って

買うのをやめた

 

他の本を見ても

買うべきフランス語の本はない

というより

丸善程度にある冊数は

家にある冊数の30分の1程度で

買い直すのでないかぎり

ほぼ

買うべき本はない

数十年間

文学哲学政治学歴史学政治学経済学のフランス語書籍は

見境なく買い続けたのだから

 

このところ数ヶ月考え続けの

小説の視点の問題の参考のために

フォークナーの『アブサロム、アブサロム』の翻訳をよく開くが

意味はわかるものの

語感のぶっ壊れたすさまじい悪訳で

さぞ原文は難しいものなんだろうと思っていたが

丸善に来た機会にと

原文を手に取ってみると

惚れ惚れするような美しい文章で

しかも難しくなどない

もちろんフォークナーならではの文章で

作品構造が簡単だとはいうわけではもちろんないが

フォークナーに負けじと書いた中上健次の小説の文よりも読みやす

なぁんだ

最初から原文を見ればよかった

フォークナー研究者ではないから

隅々まで正確無比に読まなくても別にいいのだし

原文のこの乗りについていくほうがはるかに大事だし気持ちがいい

と思って

買った

 

オワゾを大手町側に出れば

そこからは

自宅まで歩いて三十分ほどで着く

せっかく近距離に住んでいるのだからと

この数年

大手町からは歩いて帰る

東京駅からも歩いて帰る

銀座からも歩いて帰る

歌舞伎座からも歩いて帰る

 

まあ

神保町で寄り道をしなければ

話ではあるが




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