おだやかで
かぎりなく知識も吸収され
うきうきとして
こころ楽しい雰囲気を保っておきたいのなら
色やかたちを楽しみ
ものの整いを喜び
埃やよごれを清めて
花を愛で
こころに浮かぶ思いや
口から出すことばが
じつは
こまかな細工の施されるべき
繊細な宝飾品なのだと
よくよく
心得なおしておくこと
さわがしく
おだやかならず
ともすれば
むなしさの淵のほうへと
だれをも引き込んでいこうとする時代には
なおさら
おだやかで
かぎりなく知識も吸収され
うきうきとして
こころ楽しい雰囲気を保っておきたいのなら
色やかたちを楽しみ
ものの整いを喜び
埃やよごれを清めて
花を愛で
こころに浮かぶ思いや
口から出すことばが
じつは
こまかな細工の施されるべき
繊細な宝飾品なのだと
よくよく
心得なおしておくこと
さわがしく
おだやかならず
ともすれば
むなしさの淵のほうへと
だれをも引き込んでいこうとする時代には
なおさら
たとえば
ひとりのひとが
べつのひとりのひとを殺す
それを止めたいなら
想像もつかないほど遠いところまで
目を走らせなければならない
目とともに
霊も
なぜ
殺されるひとが
いま
たまたま
あなたではないのか
なぜ
殺すひとが
いま
たまたま
あなたではないのか
これに
明瞭に答えられなければ
殺すのを
ほんとうに止めることはできない
明瞭に答えられるならば
殺しても
殺されないのが
見える
そうして
驚くほどかけ離れた距離が
いま殺すひとやいま殺されるひとと
あなたとの
あいだにあるのが
見える
同時に
あなたが
殺させ
殺されさせているのも
見える
チベットの高名な行者
ミラレパは
川で魚を捕って食べる行者を
見たことがあった
肉を食べ終わって
骨だけになった魚の尻尾をつまんで
行者は川の水に踊らせる
すると
魚の肉は復活し
もとの姿に戻って
川のなかへ泳いで行った
この地上の修行界にあって
食べる
いのちを奪う
とは
こういうこと
どんな川の水に
どのように
どの瞬間をとらえて
骨を浸せばいいか
つかむべき
智
とは
こういうこと
洗濯機での洗濯が終わって
タオルや衣類を
洗濯干しハンガーのピンチに留めていた
ピンチも
洗い終わったタオルや衣類も
わたしと繋がっている
わたしそのものだ
と
感じた
いつの頃からか
つよく
こう感じることが
くり返されるように
なった
つよく
でなければ
いつも
感じている
家のなかでも
外でも
どこへ行っても
場所に対して
違和感を
感じなくなった
どこも
わたしそのもの
だから
この場所は
よくないとか
いいとか
そういうことが
なくなった
調和を乱すものが
滞留していることはある
しかし
場所そのものは
わたしなのだ
場所に繋がれば
滞留しているものに
影響されなくなる
わたしの家のなかなど
まさしく
つよく
わたしそのもの
みずから選んで
集めてきたものが
家のなかには
並んでいる
わたしの精神が
引き込んできた物たちが
集まっている
整頓されていても
わたし
ときに
乱雑になっても
わたし
埃を
かぶってしまっていても
わたし
この地上世界と
どのように
かかわりあうか
どのように
触れていくか
すべての物が
わたしであるならば
すべてが
わたし
である以上は
20歳下の妻がいて
17歳の長女と14歳の次女と10歳の長男がいる
という
64歳の社会学者の宮台真司が
44歳下の女子大生を愛人にしょうが
真の愛で結ばれていようが
そこは個々人の運命のオハナシなので
どうでもいい
週刊誌が騒ぎ立てるのに
同調する気には
べつに
ならない
けれども
セーターをぶかぶか来て
ダボダボしたズボンを穿いて
どこかのアニメの
とぼけたオジサンみたいな宮台真司が
女子大生と手を繋いで
ホテルへ向かうところを撮った写真を見たり
駐車している車の陰に隠れて
抱きあったり
キスしていたりする写真を見ると
カッコワルイナア
と思えてしまう
老いた男女が
入れ歯をガチガチぶつけながら
濃厚なキスをするところを描いたのは
老いた女の性愛を描くのに長けた圓地文子先生だったが
宮台真司の舌や唾を口に受けとめた女子大生は
どんな味を味蕾に感知したものだろう
そこも
個々人の趣味に関わることなので
べつに
どうこう言う気にもならないが
ただひとつ
とにかく
宮台真司が恰好わるいのだ
もうすこし
服装や
立ち姿や
歩き姿を
ピシッとしてやれよ
彼女のために
と
思ってしまう
寄る年波
というのは
恐ろしい
よほど
からだのあちこちに気を張っていないと
他人の目には
ふやけた
ただのジイサンである
じぶんが
ただのジイサンと見られるのは
べつに
かまわないとしても
ただのジイサンと
手を繋いでいる
美意識の欠落した女子大生
と
周囲から見られてしまっては
やはり
かわいそうではないか
ただならぬジイサン
と見えるように努めるか
ジイサンらしくなく
見られるように
努めるか
それが
相手の女の子への
配慮
というものではないのか
17歳の長女と14歳の次女と10歳の長男が
フォーカスされた
父親の写真を見て
オヤジ
けっこうやるじゃん!
と思うぐらいに
ちょっとは気張った姿を
見せてみる
場面じゃ
ないのだろうか
ともかくも
文化的なことなら
いろいろと見続けてきた
文化
というのは
人工的
ということで
作意的
ということで
つまりは
でっちあげの絵空事
ということ
だが
どんなに頑張ろうとも
鳴かず飛ばずで
終始しているばかりの
ひとたち
ちょっぴり
成功らしきものを
いちおう
手にはしたひとたち
大成功
といっていいだろうものを
まずは
手に入れたひとたち
いろいろなひとたちを
時代
時代
つぶさに
見てきたけれど
どんなひとたちにも
共通しているのは
時代の変化や
風潮の変化や
好みの変化に
ついに
だれひとり
抗することはできなかったこと
忘れさられはしなくとも
すっかり色褪せ
歴史の一資料のようになり
さもなくば
懐メロみたいに位置づけられ
若いこころを
ときめかせたりは
ぜったいに
二度としない
博物館の
埃をかぶった動物標本の
よう
小説に一家言持つかのような
若者たちが
野間宏をまったく読んでいないことに
驚かされるのだ
どれだけ
吉行淳之介が
文壇の権力装置だったか
もう
だれも気にもしないことに
驚かされるのだ
ひととおり
辻邦生を
ぜんぶ読んでおかなければ
という圧のあった
時代があったことを
知らないひとがいることに
驚かされるのだ
たいした見識でもないのに
なにかというと
加藤周一のご意見を伺うといった
雑誌やテレビばかりで
過去の花田清輝や
マスコミに出ない吉本隆明を思うひとは
鼻白むばかりだったのを
ぜんぜん知らないひとばかりなのに
驚かされるのだ
ともかくも
みんな
流れ流れて
消えていってしまった
過ぎ去ってしまえば
なかったも
おなじ
なんにも
なかったのと
おなじ
人界のことを
ひろく見続けようとすれば
この時代
YouTubeやSNSも
網羅的に
見なければならない
見ていると
ほかより興味を惹かれるひとたちが
出てきて
しばらくは見続けていくが
ああ!
YouTubeやSNSのかなしさよ!
数日も追ってみれば
かれらの特色にも
手くだにも
飽きが来てしまう
宮崎駿にも
新海誠にも
もう飽きてしまったように
寺山修司にも
唐十郎にも
むかし飽きてしまったように
三島由紀夫にも
村上春樹にも
そうそうに飽きてしまったように
そうして
ふと手に取り直した
謡曲集が
いたく面白く感じられたり
鴎外の史伝が
ほかのなにより
心の襞にぴったりと来る
慰安となったりする
京都の子で
ひととき
愛したのは
伊東妙子ばかり
ほかのひとなら
鬱になる
とか
落ち込む
とか
暗くなる
とか
塞ぎ込む
とか
表現するような
とき
伊東妙子は
雲が流れてきて
しばらく
濃く留まっています
でも
待っていれば
大丈夫
また
流れていってしまうから
と
よく
言っていた
ベッドで
裸になると
いつも
顔を下に向け
両腕で頭をまるく包んで
天井にむけた
すべらかな背だけで
じぶんを守るようにして
卵のように丸まって
いた
卵のようだね
と
声を
かけたり
蛹のようだね
と
声を
かけたり
そうして
居たいんだね
そうして
居たらいい
いつも
そんなことを
言って
ちょっと離れたソファに
座って
ゆっくり
紅茶を
淹れていたり
した