2024年2月10日土曜日

感心


 

うまい演奏者を見ながら

聴きながら

感心

し続けては

来たが

もう

演奏を聴く体験は飽和してしまった

 

昨年

ふいに

憑きものが落ちたように

映画も

音楽も

演劇も

その他のどんなパフォーマンスも

要らなくなってしまった

 

こういうことって

あるんだな

感心

している

 

そうなってみると

逆に

うまい演奏者などが

あわれに見える

あんなことに人生を浪費して

バカだな

 

あんなのは

今後作られる高性能のAIでできる

どんな調整もできるAI

ピアノ演奏だって

ホロヴィッツふうにも即座にできれば

コルトーふうにもできる

ミケランジェリふうにもできれば

キーシンふうにもできる

ランランふうにもできる

彼らの演奏情報をぜんぶ流し込んだ上で

すべてを凌駕した演奏だって

すぐに聴かせてくれる

 

新たなものが生れ得なくなる時代が来る

 

もともと

新たなものなど

なかったのだから

(超古代遺跡には現代を凌駕したマシンの痕跡が見つかっている)

あたかも特別な優れた時代であるかのように

図に乗り続けたこの数百年の驕りが

潰えるだけのこと

 




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