Il a seize ans et quatre mois. Il est beau(........)
comme la rencontre fortuite sur une table de dissection
d’une machine à coudre et d’un parapluie
Lautréamont Les Chants de Maldoror Chant VI, strophe 1
秋のうちに植えつけておいた
スイセンやヒヤシンスなどの球根から
ようやく
芽がのぞきはじめて
伸びるつもり
咲くつもり
ある
ようだ
どうやら
稀代の大犯罪者が政界から去って
(去らされて…? いやいや、今ごろアレは、
整形手術を終えて、リゾート地で余生を送っているさ)
あれよあれよという間に
大犯罪者の派閥も瓦解させられ
属していた党にも大地震が起きている
もちろん
どこもかしこもアウトレイジだけの世界
社会的なあらゆる大地震がそうであるように
見かけ上のものに過ぎず
次の数十年をわがものにしようとする新興の“組”が
既成の“組”崩しをしているだけのことだが
昨年に花を咲かせて
枯れた茎を切って
しばらくしてから球根を掘り出し
洗っておいた
あまり立派でない
小さな球根たちから
よくもまあ
こんなに芽吹いてきたものだと
驚かされる
あ!
常識中の常識の名句だが
思い出した!
ロートレアモンの
これを
『マルドロールの歌』の中の
これを
彼は16歳4ヶ月だ。
彼は美しい……
とりわけ、解剖台の上での
ひとつのミシンとひとつの傘の
偶然の出会いのように
(『マルドロールの歌』、第6歌、第1詩節)
シュールレアリスム以降
これは有名だが
じつは
この一節がある『マルドロールの歌』の第6歌の第1詩節全体のほ
はるかに面白いのだよ
せっかく『マルドロールの歌』を読み出したのに
中断してしまう読者が多い
第1歌や第2歌より
それ以降の歌のほうがピンと来る人も
本当は多いはずだ
友よ
第6歌から読みたまえ
第5歌から読みたまえ
ひょっとしたら
第4歌から読むと
あまりに読みやすくて驚くかもしれない
本を最初の章から読むというような
悪癖というか
たんなる馬鹿な紋切り型行為というか
それを捨てる好機にも
なるかもしれない
人生を終わりから生き始める挑戦も
できるようになるかも
しれない
老いてからも
ロートレアモンとランボーに熱中し続け
何度目かのロートレアモン論を書き上げた出口裕弘さんと
外苑前のバー「ハウルHowl」を上ったサロンで
いろいろ話したことがあった
旧制浦和高校時代に同学年で親友となった澁澤龍彦が
どうしてもランボーを理解できなくて
どうしてランボーなんか好きなんだ?と
よく聞かれたと言っていた
しかし
歳を重ねるほど
ロートレアモンやランボーに惹かれ直していくのも
わかるのだ
だんだん
わかってくる
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