思わず手を合わる。
涙がわく。
などと書いているが
これはウソ
わたしは何ごとによらず
こころの手をあわせない人間であり
涙など
わくわけもない
おそろしいまでに
なにも信じず
いかなるものであれ情というものの虚偽の臭さを
嫌悪する
2000年7月29日の
室生寺五重塔再建についての
こんな記述
○七月二十九日土曜日
再建された室生寺五重塔のあざやかな姿をテレビで見る。思わず手を合わる。涙がわく。
室生寺、我がこころの宝。地上で、いや、宇宙で、なによりも大切な土地のひとつ。昨秋、ひとけのない豪雨のなかをゆっくり訪ね、大晦日まえにも、雪の吉野行の前に再度訪ねた。奥の院まで、無限に続くかと思える石段も二たび登った。いずれの時も、五重塔は工事の覆いの蛹のなかで、再生の時を過ごしていた。
奥の院へと登る石段の途中、賽の河原の地蔵のわきに、名前と日付を記した小石を置いた。わたくしがこの世に残す、唯一の滞在の、証? 次の転生の、わたくしである旅人ひとりへと宛てて。
逵日出典『室生寺史の研究』(巌南堂書店、昭和五十四年)という、鴎外の史伝を思い起こさせるような文体の、美しく厳しい本を、幸いなことに入手しえたが、それによれば、昭和四十年の仁王門再興以前は、夜であれ朝であれ、境内を自由に散策できたと云う。懐中電灯で夜中に照らし出す五重塔は、恐ろしいまでの迫力であったそうだが、もし、奥の院に至る森の石段に漆黒の一夜を明かしたならば、多くの精霊の侵入を現実に心身に受けることができるだろう。深山や森の闇夜には、ほとんど物理的といってよい力があり、それを心身に受けた者は、それだけで人間を超える。
こうした経験を持つひと、これを求めるひと以外には、会いたくもない。
しかし
台風で倒れた巨木を受けて壊れた五重塔を見たのも
ひと知れぬ孤独な行脚をくりかえしたのも
事実である
しかも
室生寺の五重塔の周囲の空気は
独特の粘り気があって
手をのばすとドロドロと感じられる濃い空気で
これはかつて
出雲の神魂(かもす)神社や
八重垣神社を訪れた際に感じた空気感と
同じものだった
ただの空気ではない
ほんとうに
ドロドロとしている
水のなかを進むように
透明な粘状のなかを進むのだ
伊弉冉尊(イザナミノミコト)を主祭神とし
伊弉諾尊(イザナギノミコト)を合祀する神魂神社の名を借りて
わたしは同人雑誌『かもす』を作った
日本語をえんえんと並べ続けるという祭事の
これが
はじまりだった
伊弉冉尊(イザナミノミコト)については
後日談がある
妻と伊勢神宮に行った時
別宮である月讀宮(つきよみのみや)にも詣でた
その時
寒い日だったにもかかわらず
中にある三社のうちの伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の前で
わたしも妻も
暖かい風に吹かれた
伊佐奈弥宮(いざなみのみや)から
暖かい風が吹き出てきたのだ
この時以来
わたしは伊弉冉尊(イザナミノミコト)を家に祀ることにした
神棚の主祭神は天照大御神だが
伊弉冉尊(イザナミノミコト)も祀っている
後になって
淡路島の伊弉諾神宮から
妻が伊弉諾尊(イザナギノミコト)のお札も持ち来たったので
三神を祀ることになった
室生寺の
奥の院へと登る石段の途中
賽の河原の地蔵のわきに
名前と日付を記した小石を置いたのは事実で
もちろん
石の上の文字など
もう流れてしまっているだろうが
あの時のわたしの念は残っていて
室生寺のあの空気のなかに
混じり入っているだろう
わたしがこの世に残す
唯一の滞在の証として
次の転生の
わたしである旅人ひとりへと宛てて
と
わたしは書いたが
わざわざ
あの奥の院へと石段を登るひとびとは皆わたしであろうから
今なら
同行無数
とでも
書くことにするかもしれない
もちろん
今なら
そんなことさえも書かず
なにも残さないということを残して
石段に足裏も付けずに
宙を浮いて
上り下りすることだろう