2024年3月30日土曜日

今日は人こそ悲しかりけれ

 

 

 

きのうの夜

まだ

あさい頃

 

千鳥が淵をずっと散歩してみたら

まだまだ

さくらは咲いていない

 

それで

いいと思う

 

春のさくらの開花には

冬の寒さをびっしりと経験することが要るそうだが

やっぱり

暖冬だったのだと思う

だから

四月が来るというのに

ビキッと開花するのに

まだ踏み切れないでいるんだ

あの連中

 

そう

家では

この冬に一度も暖房をつけなかったぐらいだから

やっぱり

暖冬だったんだ

 

たったの一度も

つけなかったんだぜ

 

千鳥が淵から出て

もう暗くなった靖国神社の境内へ

歩み行った

神門から奥はもう閉まっているので

大村益次郎銅像のあるひろい境内のあたりを

ふらふら

 

霊能者たちは

このあたりにもたくさん霊がいる

よく霊視している

 

そう言うと

こわがるひとたちもいるけれど

夜の靖国神社って

なんども歩いているのでわかるが

こわい霊はまったくいないし

めんどうな霊もいない

 

みんな

静かに佇んでいたい霊たちばっかりだと

実際に闇のなかを歩けば

よくわかる

 

この神社の気持ちよさは

そこから来ている

 

戦争で死んだひとたちの

ひたすら静かでいたい

静かな霊たちのあいだを

のんびり

歩きまわり

まだ

死んでいないかのような

ぼくが思い出すのは

こんな歌

 

紀友則が死んだ時に

悼んで歌った紀貫之の

こんな歌

 

    明日知らぬわが身と思へど

  暮れぬ間の

  今日は

  人こそ悲しかりけれ*

 

 

 

 

 

*古今和歌集、哀傷歌。

 

 




われ反抗す、ゆえにわれ在り

 

 

 

ぼくの日本文化ぎらいは

もう

ただごとではない

 

ほかの国の文化が好きなわけでもないけれど

いちばん接点の多い文化のなかにいると

いやなところもごっそり見えるから

どうしても嫌うことになる

 

そうすると

外国の文化の切れはしに

なんとなく

うっとりしちゃうことにもなる

それだって

ただの幻影にすぎないんだけど

 

なのに

けっこう日本古典を読むのが

好きだったりするのは

それが日本文化だからではなくって

それなりの質の

文芸テキストだからだと

思う

 

ものごとって

いっしょくたに考えると

誤る

 

日本古典文芸は日本文化というわけではない

むしろ反日本文化だろう

どこの国でも

その国の文化に反旗を翻したものが

文芸や哲学となって

残ってきている

 

思い出しちゃう

アルベール・カミュのことば


「われ反抗す、

ゆえに

われ在り」

 

 



ゆうぐれの空がもう夏にちかい色

 


 

ゆうぐれの空が

もう

夏にちかい色になっている

 

春や

さくらが

じつはそう好きでもないので

一足飛びに

夏になってくれれば

ほんとうは思う

 

さくらが咲く頃になると

それなりに

目を奪われるそぶりを見せるけれど

それって

まわりの通俗にっぽん趣味に

あわせてやっているだけ

 

ほんとうは

初夏から初秋までだけが

好き

 

さくらの

あいまいな花っぷりって

じつは

女の子のレースのハンカチかなんか

見せられている感じ

 

レースが

大っきらいなんだ

じつは






2024年3月29日金曜日

手をのばすとドロドロと感じられる濃い空気

 

 

 

 

思わず手を合わる。

涙がわく。

などと書いているが

これはウソ

 

わたしは何ごとによらず

こころの手をあわせない人間であり

涙など

わくわけもない

 

おそろしいまでに

なにも信じず

いかなるものであれ情というものの虚偽の臭さを

嫌悪する

 

2000729日の

室生寺五重塔再建についての

こんな記述

 

 

○七月二十九日土曜日
 再建された室生寺五重塔のあざやかな姿をテレビで見る。思わず手を合わる。涙がわく。
 室生寺、我がこころの宝。地上で、いや、宇宙で、なによりも大切な土地のひとつ。昨秋、ひとけのない豪雨のなかをゆっくり訪ね、大晦日まえにも、雪の吉野行の前に再度訪ねた。奥の院まで、無限に続くかと思える石段も二たび登った。いずれの時も、五重塔は工事の覆いの蛹のなかで、再生の時を過ごしていた。
 奥の院へと登る石段の途中、賽の河原の地蔵のわきに、名前と日付を記した小石を置いた。わたくしがこの世に残す、唯一の滞在の、証? 次の転生の、わたくしである旅人ひとりへと宛てて。
 逵日出典『室生寺史の研究』(巌南堂書店、昭和五十四年)という、鴎外の史伝を思い起こさせるような文体の、美しく厳しい本を、幸いなことに入手しえたが、それによれば、昭和四十年の仁王門再興以前は、夜であれ朝であれ、境内を自由に散策できたと云う。懐中電灯で夜中に照らし出す五重塔は、恐ろしいまでの迫力であったそうだが、もし、奥の院に至る森の石段に漆黒の一夜を明かしたならば、多くの精霊の侵入を現実に心身に受けることができるだろう。深山や森の闇夜には、ほとんど物理的といってよい力があり、それを心身に受けた者は、それだけで人間を超える。
 こうした経験を持つひと、これを求めるひと以外には、会いたくもない。

 

 

 

しかし

台風で倒れた巨木を受けて壊れた五重塔を見たのも

ひと知れぬ孤独な行脚をくりかえしたのも

事実である

 

しかも

室生寺の五重塔の周囲の空気は

独特の粘り気があって

手をのばすとドロドロと感じられる濃い空気で

これはかつて

出雲の神魂(かもす)神社や

八重垣神社を訪れた際に感じた空気感と

同じものだった

 

ただの空気ではない

ほんとうに

ドロドロとしている

水のなかを進むように

透明な粘状のなかを進むのだ

 

伊弉冉尊(イザナミノミコト)を主祭神とし

伊弉諾尊(イザナギノミコト)を合祀する神魂神社の名を借りて

わたしは同人雑誌『かもす』を作った

日本語をえんえんと並べ続けるという祭事の

これが

はじまりだった

 

伊弉冉尊(イザナミノミコト)については

後日談がある

 

妻と伊勢神宮に行った時

別宮である月讀宮(つきよみのみや)にも詣でた

その時

寒い日だったにもかかわらず

中にある三社のうちの伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の前で

わたしも妻も

暖かい風に吹かれた

伊佐奈弥宮(いざなみのみや)から

暖かい風が吹き出てきたのだ

 

この時以来

わたしは伊弉冉尊(イザナミノミコト)を家に祀ることにした

神棚の主祭神は天照大御神だが

伊弉冉尊(イザナミノミコト)も祀っている

後になって

淡路島の伊弉諾神宮から

妻が伊弉諾尊(イザナギノミコト)のお札も持ち来たったので

三神を祀ることになった

 

 

室生寺の

奥の院へと登る石段の途中

賽の河原の地蔵のわきに

名前と日付を記した小石を置いたのは事実で

もちろん

石の上の文字など

もう流れてしまっているだろうが

あの時のわたしの念は残っていて

室生寺のあの空気のなかに

混じり入っているだろう

 

わたしがこの世に残す

唯一の滞在の証として

次の転生の

わたしである旅人ひとりへと宛てて

わたしは書いたが

わざわざ

あの奥の院へと石段を登るひとびとは皆わたしであろうから

今なら

同行無数

とでも

書くことにするかもしれない

 

もちろん

今なら

そんなことさえも書かず

なにも残さないということを残して

石段に足裏も付けずに

宙を浮いて

上り下りすることだろう

 



 

掃除婦マチルド


 

 

2000726日には

こんなことをぼくは書いている

 

 

○七月二十六日水曜日
 某日、新宿紀伊国屋ビル地下の男子便所に入ると、だれも男性使用者のいないかわり、掃除婦が男性用小便便器の前に坐りこんで、なかに手を突っ込み、隅々をタワシで洗っていた。力を入れて、じつに丁寧な洗いようだ。すこし前に彼女が洗ったであろう便器を使うのは済まないような気もする。が、いちばん端のきれいな便器に立ち、ジュリアン・ソレルはファスナーを下げ、排尿器を出して尿を放出した。
 掃除婦マチルドは、ひとつ離れた便器を丹念に洗っている。それに寄りかかり、覗き込み、ときどき独り言を言っている。ジュリアンは、そちらへの自分の身体の平行移動を、ふと想像した。そうすれば、彼女の顔や手の像と、排尿器の像とが重なる、と。
 マチルドの顔は、現在のジュリアンの排尿部位から二メートルとは離れていない。この状況を彼は楽しんだ。羞恥心がさほど働かない自分のこころの様子を楽しむ。
 若い会社員ふうの男が入ってきたが、開いている便器がふたつあるにも関わらず、掃除婦を見て、あきらめて出ていく。ばかな奴だ、とジュリアンは思った。
 ホテルで、有色人種のボーイの前で平気で全裸になったり、場合によってはセックスもする富裕な白人女性が少なくないと聞いたことがある。有色人種のボーイを人間と見なしていないからだ。犬や猫の前で裸になるのを気にしないのと同じことだという。
 マチルドの前で排尿するのを同じことだと考えたわけではない。いまのマチルドは、だれよりも尊敬に値する。丹念にこういう作業をする人間に敬意を抱くという価値観を、ジュリアンは保っている。
 彼が考えたのは、たったひとつのこと。マチルドはたしかに、便器を掃除するということで稼いでいるかもしれないが、エネルギーの効率という観点から見れば、こんなやり方はムダが多過ぎる、ということだ。すぐにも尿の汚れがこびりつく便器を、あのようにしっかり洗う、それに金を払う、それで金を貰う、という仕組みは、地上でのエネルギーの回転全体で見れば愚劣な選択である、と。彼女の筋力も、注意力も、時間も、もっとべつのことに向けるべきだと思われたのだった。便器というものの構造自体に、まだまだ考え直すべき欠陥が多く存在しているのだ。尿による汚れ自体で洗浄のなされるような仕組みをこそ、考え出さねばならないはずではないか、工学技師諸君?
 それにしても、こういう誠実勤勉な人材こそ、雪印乳業には必要だった。
 ジュリアンの想像が複合化する。
 白い便器の横に、隣接して、牛乳タンクのバルブがある様を想像する。それを彼女が丁寧に洗っていく。
 どうせなら、便所のなかにミルクスタンドを作って、老若男女が裸で新鮮なミルクを飲めるような設備を作ったらどうか、と想像する。
 さらには、手足を枷で固定し、ミルクを管で喉からたえず流し込み、排尿もすみやかに行えるように管を挿入し、という光景が国中に、いや、世界中に広がったらどんなに喜ばしいことか、と……
「人生などは、下男に任せておきたまえ」とリラダンはどこかで書いていなかったか。
 いつも、こんな脳のまま。
 そうしてジュリアンは、これを、死まで抱えていく……

 

 

 

新宿の紀伊國屋本店の地下のトイレは

だいぶ後になって再訪した際も

おなじ作りのままだった

 

将来あれを壊して作り直す際

配管の内側には

どれほどの量の男性諸氏の尿のぬめりが

こびり付いているのが見られることだろうか

 

「それにしても、こういう誠実勤勉な人材こそ、雪印乳業には必要だった。」

という文が

2014年時点から見ると

あまりに唐突な印象で出てくるが

20006月から7月に

戦後最大の集団食中毒事件といわれる

被害者数14780人にのぼる雪印集団食中毒事件が発生したのだった

雪印グループは全品回収をし

信用は完全に失墜し

経営も悪化して

グループは解体再編を余儀なくされた

日記に牛乳にまつわる幻想が出てくるのは

このためである

 

 

雪印集団食中毒事件よりも

人数的には小規模な

小林製薬紅麹コレステヘルプ事件の起きている今なら

便器のわきに

アセロラジュースのタンクでも置く幻想を

書いてみるかもしれない






時計を理解しなかったテレーズ

 

 

 

むかし書いた

ルソーについてのおはなしに

じぶんで

唸ってしまう

楽しんでしまう

 

2000年の

714日の

こんな日記

 

 

○七月十四日金曜日

ルソーは、下宿の女中あがりだった生涯の伴侶テレーズに、時計の読み方を教えようとした。ずいぶん骨を折ったが、テレーズはまったく時計というものを理解しなかった(『告白』)。テレーズのこの無知をルソーは愛していたらしい。このことの意味は深い。時計職人の子に生まれ、時計によって一般人を産業奴隷に作り変えていく体制が進みつつある頃に、その体制と真っ向から闘う思想(俗に言う「自然に帰れ」)を紡いでいたこの男にとって、時計を理解しない女の存在は、目の前に生きる永遠の革命そのものと見えていただろう。パリを去って隠遁生活に入る時、ルソーは有頂天になって自分の時計を売り払ってしまうが、生涯において、これがもっとも幸福な瞬間であったと、やはり『告白』で書いている。
 「裸の王様」をマイナスの色合いで物語作家が捉えた頃には、ヨーロッパ人たちの洗脳はすっかり終了してしまっていた。真の王様であるなら裸であるに決まっているのに、時計を持ち、ケータイを持ち、モバイルを持つことこそ王様であると思い込ませた功績の源は、やっぱりプロテスタント坊主たちにあるのだろうか。ピョートル大帝は、ロシアの雪の原野での排便時、長い槍で狼たちを追い払いながらイタシタという。この槍程度の実用品所有に留めておくのが、真の王者たる者の知恵というもの。児孫のために美田を買わず。現代のモバイル・ビジネスメン、ケータイギャルたちの孫やひ孫はどれほどの重装備になっていくことか。それも粋ってモンかしら?

 


2000年の駿河昌樹よ

2024年には

ほんとうに

モバイル・ビジネスメン、ケータイギャルたちの孫やひ孫は

スマホという板一枚持ちを信条としているが

機能的にはすごい重装備になってしまっているよ

 

そうして

つけ加えるが

2000年のきみの文体から

2014年のぼくは

ほとんど変化しなかった

 

きみがこれを書いたのは

きみの個人雑誌『ぽ』19号だが

『ぽ』は現在も継続中だ

いまこうして書いている書き付けを載せるのが

ちょうど

7047号になるよ

 

 




つまらないことね みんな

 

 

 

ネットは便利なもので

じぶんの過去をじぶんで思い出すのに

役立ってくれる

 

それも唐突に

 

まるで

じぶんと縁もゆかりもない他人のことのように

 

たとえば

2000年のこれ

「代田日記」の一節

 

 

○七月二十七日木曜日
 ジェーン・バーキンの歌の揺らぎ、その圧倒的な魅力。Quoi, ジミー・ロウルズとのデュエットによるThese Foolish Things, Yesterday Yes A Day, Ballade De Johnny-Jane, Ex-Fan De Sixties, Di Doo Dah, Je T'aime Moi Non Plusなどをくり返し聴き、愉しみのための深夜の試訳に、また、時を費やす。こんなふうに。

  煙草には 口紅のあと
飛行機のチケットは すてきな場所へ発つため
こころには いまも翼があって
そんな小さなあれこれに 思い出す
あなたのこと

となりのアパートで 鳴っていたピアノ
ためらいがちに 伝えた
わたしの気持ち
博覧会の あの色あざやかなブランコ
つまらないことね みんな
でも 思う あなたのこと
     ………        

          (These Foolish Things






世の中をなになげかまし

 

 

 

いかにぞやもある世かな。

こころもかたちも、とりどりに捨つべきもなく、

また、思ひ定むべきもなき。

『源氏物語』葵

 

 

 

 

紫式部のことを扱った

ドラマを

テレビでやっている

今年

なのだとか

 

見ていないので

どう描いているのか

わからないが

あのひとを知りたければ

書き残した言葉に

ぴったり貼りついて

RNAからDNAへの逆転写を

わたしたちの精神に起こすほか

あるまい

ものを

 

だれもが繙く

あの長大な物語の字面だけでなく

たとえば

ふとためいきを洩らしたような

後拾遺和歌集の

山桜の頃の

こんな歌などにも

 

世の中をなになげかまし山桜花見るほどの心なりせば

 

世の中のこと

なにを

嘆くことがあるかしら

山桜を見るような

こんなこころでさえ

いられたならば

 

 



初夏にいましばらくの

 

 

 

島崎藤村の詩集など

ひさしぶりに

開いてみたりすると

気持ちよく韻律は流れ

目も気分もなめらかに行から行と進み

ああ、まさに

近代以降の詩は

ここにある

と感じさせられる

 

詩というより

歌のこころよさと

いうべきか

 

しかし

一部分にしか

こころに跡をつけてくる印象はなく

なかには

ひとつの詩まるごと

ただ

するすると流れるばかりで

ほんとうに

なにも読まなかったのとかわらないような

どこかの泉の数滴を口にしただけの

あわい印象のものもある

 

これでいいのだとか

これこそいいのだとか

これだからだめなのだとか

水面のさざなみを

こころにすこし立てながら

書架にもどす

今後また長らく

手に取ることもないだろう

初夏

いま

しばらくの

島崎藤村詩集