2024年3月7日木曜日

立体曼荼羅が見えていた

 

 

 

立体曼荼羅が見えていた

 

どうやら

地上にいるあらゆる人間のすがたが

ひとりの取りこぼしもなく

くまなく

見えている

 

道行くひとびとや

作業しているひとびとを

高いところから見下ろしているような

そんな限られた視野ではない

地上のあらゆるところが見えていて

見透かすことができていて

戸外も建物のなかも

乗り物のなかも

海に潜って貝を採っている海女たちさえも

すべて見えている

 

眠っているひとや

ソファにだらっと倒れ込んで

スマホを見ているひとなどもあわせて

だれもがなにかをしている

なにかの状態にある

無数などという曖昧な把握でなく

数えれば確実に数えられる数で

いまの地上の全人類が見えていた

 

なにかをしている

なにかの状態にある

ということは

だれもが

ほかのことをしておらず

ほかの状態にないことを意味する

つまり

選択された一状態にあり

限定されており

ほかの可能性を捨てており

ほかのことができる能力を閉じている

 

そのように

限定され

存在を狭くされ

限界づけられながら

あらゆるひとびとが

いまの状態や動作をせわしなく続けている

そうしていることで

ひとびとは

いまの状態や動作以外の

現在のなかに物質化できるはずの状態や動作を

つまりは顕現可能な多様な自己をあきらめ

いまのこの瞬間の地上でただひとつだけの機能となり

ひとつの運動だけをくり返す機械の一部のようになっている

 

立体曼荼羅を見ていると

地上にいるあらゆる人間の

そうしたすがたが

ひとりの取りこぼしもなく

くまなく

見えるのだった

 

限定され

存在を狭くされ

限界づけられることで

あらゆるひとびとは全体に繋がっており

全体となっていた

 

全体となっているので

かれらが被っている

限定され

存在を狭くされ

限界づけられた状態は

限定されず

存在を狭くされず

限界づけられない状態に

そのまま

同時になっている

 

これを見続けるうち

涙が出てくるようだった

 

たったひとりも取り残さず

現在のこの瞬間に地上に存在しているひとびとの

全員のすがたを

完全完璧に見てとることができると

このような強烈な印象に襲われてことばを失うのか

とわかった

 

人間とはなにか

なんであるべきか

そのなかでの自分とはなにか

なんであるべきか

 

そのようなことを考えようとする際の

必須の基盤となる経験がこれで

このように全人類のひとりひとりを

ひとりの取りこぼしもなく

くまなく

見たことがなければ

だれも

よく

正しく考えることはできない

と知った

 

睡眠から覚醒にむかう際の

幻視の

ひとつであった







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