2018年5月14日月曜日

アスファルトの激しい急坂を登る

 
「私はもう終わりになった人間ですよ」
ポルフィーリー・ペトローヴィチ
『罪と罰』の予審判事


この道を行かなければならないから行くのだが
ずいぶんな急坂だ
はじめから45度くらいある
アスファルトの塗りはきれいで新しい

だんだんと傾斜は急になる
後から来る西堂さんに
「どんどんきつくなるねぇ」
と声をかける
「すべり止めのしっかりした靴でよかったですよ」
と返ってくる

もはや45度どころではない
60度は行っている
「まだ登れてるねぇ」
と声をかける
「意外と登れますねぇ」
と返ってくる

ところどころ
マンホールを丸い蓋が嵌っている
こんな急坂にもマンホールを造るのか?
必要もなかろうに…
しかしなにかの必要があって
こんな坂にも造ったにはちがいない

ビルでいえば6階ほどの高さだろうか
そこまで行けば登り切る
あと人の背丈ふたつ分ほど行けば登り切る
すでにずいぶんな傾斜になっているので
もう角度は大きくならない

下や横を見ると
よくこんな角度に貼りついていられる
と我ながら思う
もう少し身を宙に乗り出せば落ちてしまう
アスファルトぎりぎりに体を付けて
ひっくり返っていかないように保っている

「もうちょっとだからね」
と声をかけるが
西堂さんから返事が来ない
彼のほうを見下ろすと
アスファルトに貼りついたままうな垂れている

あゝ、また…と思う
激しい急坂での急死の様だ
見慣れているのですぐにわかる
その場所に然るべく居付いている格好で
こんなふうに人は死んでいく
ちょうど現代社会に生きる人々が
電車に乗ったりせかせかと歩いたりしながら
とうの昔に死んでしまっているように

もう一度
「もうちょっとだけどもね」
と声をかけてみる
死んでしまっていても
ときどき声が返ってくることがある
応答やそれ以上のおしゃべりは
死体の得意とするところだ
型に嵌った感情表現や
型に嵌った考えも
死体は本当に見事にやってのける

しかし答えは返ってこない
西堂さんはいい死体になっていくらしい
返答がないのは
死がよい死になっていく兆候だ

ともあれ登らなければならない
あと人の背丈ふたつ分ほどの距離
死はいつ訪れるかわらないが
登り切るまでは大丈夫そうだと感じる
登り切ったら登り切ったで
地図もプランもない踏破の行程が
またわたしを待っている



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