ポール・ヴァレリーの詩「消えた葡萄酒」の場合
鈴木信太郎訳が決定訳ということになっている
わたしもそれを先ず読んだし
フランス語と比べながら読むには
便利でありつつも的を得ている訳で
労作でもあり名訳ということになろうか
岩波文庫の装丁も合っていて
あれをいつも持ち歩く人生の一季もあった
けれども
堀口大学の訳を読んでみると
鈴木訳では感じられないような動揺が
こころのどこかにうずうずと始まって
急速にかつ複雑に感動が募っていくばかりか
ヴァレリーの本当に伝えたかったことが
こころの震えとしてこちらに染みてくる気がする
失はれた美酒
一と日われ海を旅して
(いづこの空の下なりけん、今は覚えず)
美酒少し海へ流しぬ
「虚無」に捧ぐる供物にと。
おお酒よ、誰か汝が消失を欲したる?
或るはわれ易占に従ひたるか?
或るはまた酒流しつつ血を思ふ
わが胸の秘密のためにせしなるか?
つかのまは薔薇いろの煙たちしが
たちまちに常の如すきとほり
清らかに海はのこりぬ…。
この酒を空しと云ふや? …波は酔ひたり!
われは見き潮風のうちにさかまく
いと深きものの姿を!
ずいぶん思い切って訳しているところもあって
翻訳の岸から翻案の岸へ
飛び移ろうとして
ひらり
飛び返るところがあるが
ヴァレリーのあの詩をこう訳すわけかと
感嘆させられるほかない絶品と言わざるを得ない
がんばってフランス語で原詩を読むよりも
たぶんはるかに多くの滋味と感動を与えてもらえる
しかもヴァレリーの真意にも近道から導いてもらえる
どうだい、ヴァレリー、いいだろう?
と読んでない人にも勧めてみる気にもなれるような
そんなとんでもない訳業である
翻訳はおそらく古典劇を演じる俳優の演技に似ている
原作や原語に忠実であろうとし過ぎれば意図と精神を取り逃がす
いったんすべてを呑み込んで消化し切って
じぶんの自我だの人生だのはかたちも失うほどにぐにゃぐにゃにし てから
あらたな筋肉や動作や汗や体臭として物質化し直さなければいけな い
慶応を中退する時はフランス語の点数で不可を付けられた堀口大学 が
外交官の父の後妻となったベルギー女性と話すために自ら猛勉強し たのが
やはり相当に効き目が出たということだったのか
与謝野鉄幹から永井荷風に推薦され
慶応で佐藤春夫と終生の親交を結ぶだけの感性にくわえ
パリではマリー・ローランサンの愛人となってしまうだけの
生まれつきのエスプリと瀟洒さと
遊び心と言葉の冴えを持ってもいたからか
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