三好達治はフランス語もよくできたが
他人の翻訳をかっぱらう名人でもあったらしい
河盛好蔵がジッドの『コンゴ紀行』翻訳の際のことを書いている*
昭和八年に建設社という無名の本屋からジッド全集を出すことにな り
河盛は『コンゴ紀行』の翻訳を受け持つことになる
しかし長い作品なのでなかなか進まない
持て余していると三好が手伝ってくれることになった
どういうわけだか
三好はこの翻訳をまたたく間に訳し終えてしまい
河盛はずいぶん驚かされることになる
ジッド全集は金星社からも先に出版されていて
そちらのほうの『コンゴ紀行』は早稲田の根津憲三が訳していた
金星社版は早稲田や慶応の教員たちが訳しており
建設社版のほうは東大や京大の教員が関わっていた
あるとき根津訳の『コンゴ紀行』を見ていた河盛はびっくりした
三好の翻訳は根津訳そのままだったのだ
ところどころ文章を直して和文和訳をしているだけ
根津憲三は杉捷夫に「ずいぶんひどいと思つた」と言ったらしい
友人だった河盛はそれを杉から伝えられた
三好は杉の訳したメリメの『コロンバ』も和文和訳し
ところどころを変えただけで自分の訳として出版してしまっている
そうして「杉は翻訳は下手だね」と河盛に言っている
「書く文章はうまいのに、どうして翻訳はだめなのかな」と
早稲田の根津憲三というのは
わたしの指導教授だった加藤民男先生の恩師であり
この人の後を襲って加藤先生は教授となった
「地味な人で、もう君らは知らないだろうけれど…」と
加藤先生はときどき根津教授のことを語っていたが
もちろんわたしには具体的なイメージは想像しようもなかった
三好達治のこの翻訳の件は加藤先生も聞かされていただろう
詩人であった窪田般彌教授と言うに言われぬ大問題を抱え
詩人でありイヴ・ボヌフォアの翻訳者でもある清水茂教授のことも
いろいろと批判し続けていた加藤先生は
詩人や歌人をひどく嫌っていて
詩人でも歌人でもないにもかかわらず
詩や歌を酔狂にひねり続けていたわたしにも八つ当たりは来て
ずいぶんわたしも割りを食ったほうだが
三好達治の所業などは許しようもない極悪のものと見えていただろ う
それなりの格式のある詩人の最後のひとりだった三好達治が
恩師根津憲三の翻訳をかっぱらったとあっては
加藤先生が詩人なるもの一般を嫌うようになったのも
いたしかないというものかもしれない
格式もなければ
詩人でもないわたしが
非詩人として
仮に
先生に対してなにか振舞おうとしたところで
やはり
やはり
どうにもならないことであっただろう
*河盛好蔵『三好達治』(中央公論社『海』所収、 昭和五十二年十月)
0 件のコメント:
コメントを投稿