詩歌を書くひとたちと
つき合いが
けっこう
あった時期もある
痛々しかった
じぶんが書くものが
すぐに
しっかり
読まれるのを望んでいるひとが
ほんとに多かった
痛々しかった
すぐに
しっかり
ひとに読まれるのなど
望んだりしたら
じぶんが書きたいことを
じぶんが好きなように
さらには
じぶんの好き嫌いもはるかに超越した
じぶんにもわからないもの
としての詩歌など
とてもではないが
書き続けられるものではない
だれか
ひとりでも
他人が書けるようなものを書くのなら
詩歌に価値はないが
そういう詩歌は
だれ
ひとり
共感も理解もしてくれない
ものになる
可能性が
ひじょうに高い
詩歌は
共感や理解をしてくれる
たった数人にむけて
だけ
つねに
書かれている
たった数人にむけて
しかも
数千年の長い歳月のなかでの
たった数人
じぶんが書くものが
すぐに
しっかり
読まれるのを望んでいるひとは
青年期から中年期に
移るにつれて
書かなくなってゆき
中年期から老年期に入る頃に
かならず
まったく
書かなくなる
人生
いろいろ
だが
中年期から老年期にこそ
さらには
老年期から超老年期にこそ
書くべきこと
書いてもらいたいことが
ほんとうは
いっぱいになる
若い頃のへんな気負いや
目立ちたがりも消えて
その頃には
なにを言おうと
いい旨みがことばのはしばしに
にじみ出す
老馬老豚老牛老鶏からでも
味のある
出汁が出てくる
書けよ!
書き続けろよ!
老いびとよ!
老いさらばえた人びとよ!
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