2018年4月8日日曜日

マントラとしての



浄土門のお寺に寄るたび
ナムアミダブツ
ナムアミダブツ
と唱えている人たち
阿弥陀仏の意味ぐらい
知っていたほうがいいのに
そのほうがピンとくるのに
とは思う

サンスクリットのamitaを音写して
阿弥陀になったわけだけど
限られていない
とか
無限定
とかいう意味がamitaにはある
だから
阿弥陀仏の別名の無量寿仏のほうが
ほんとはピンとくる

阿弥陀という字は
異様な漢字だと津田左右吉は言う
そういう字をあてることで
呪術的性格を持たせたのだろうと言うが
マントラを用いる時点で
もちろんすべては呪術的になる

あらゆるマントラ
あらゆる真言は
まやかしでしかない
コカコーラ!
コカコーラ!
とくり返しているのと同じだと
20世紀最大の悟達のひとり
クリシュナムルティは断罪し
真の悟りに至るために
宗教的振舞いの破棄を勧めた

クリシュナムルティ*の学徒のわたしは
もちろん深く深くそれを呑み込んで生きてきたが
この物質界ではマントラも使いようだと
思い直すようにはなった
ラージニーシやシュタイナーや
グルジェフのほうへ少し実験を広げたことになる
慈愛に満ちたヨーガナンダも
マントラの効果も正しく認識し
ふつうに宗教的に見えるアプローチを採っていた

まるで言語表現の一部のような詩歌形式も
どこまでも根深くマントラで
物質と非物質のはざまに浮かぶ言語は
いかようにも利用できる
利用しないこともできる
ただの薄っぺらな意味伝達器にもなるし
意味の撹乱器として用いることもできれば
意味を乗せない空虚な器として使うこともできる
その場合には荘子の言う虚室の性質を帯び
空無であるがゆえに
全宇宙を乗せる器となる



*Krishnamurti
  https://www.youtube.com/watch?v=cJGkL7vzU8U



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