2018年4月6日金曜日

おもてなし



おもてなし…とかいうのを
いつからか
にっぽんの得意科目みたいに
取ってつけたように自画自賛するようになり
はやしたてるようになったが

大仏教学者の中村元が
1990年ごろの文章で
諸外国に比べてにっぽんには
おもてなしの精神が欠けている
といったことを書いている*

インドの古典では
「客人を神として敬え」
と教えているし
たいていの外国では
大学にゲストハウスがある
ドイツなんかにいくと
民間でもよく泊めてくれて
Gastfreundschaft
と言うのだと書いている

昔は日本でも
学生が田舎旅をしていると
「書生さん、よく来たね」
と歓待されて
よく泊めてくれたそうで
そんな書生旅を
中村元もしたそうな

仏教のほうの言い方をすれば
こういうのは房舎施といい
他人を家に自由に泊らせ
歓待することで
無財の七施のひとつとして
『雑宝蔵経』に書かれている
財産がなくとも他人に施せる
七つの行いのひとつとして

そんなおもてなしの習慣が
にっぽんで崩れたのは
食糧事情が悪化した戦時中の
買い出しの始まりからだと
中村元は書いていて
せちがらい世の中になり
人の心がすさんでから
地方でも人を警戒するように
なってしまったからかと推察し
「そして今日はご承知のとおりです」
と結んでいる

やっぱり戦争のせいだったか…
などとうっかり思ってしまいそうだが
ドイツでも戦争はあったのだし
昔から戦争のなかった場所など
むしろめずらしいわけで
戦時中以降のにっぽんの変化は
戦争だけでない理由が
底のほうにあったのかもしれない

ともあれ
おもてなしというのは
副次的な儲けを見込んで
来て下さい来て下さい
ちゃんとお支払い戴ければ
怠りなくサービスしますから
などというのではなく
こちらの生活のリズムを
根本から狂わすような闖入者を
どう受け入れて対処するか
こちらもどう変わっていくか
そんなところにしか
ほんとうは発生しない

文化にとっては脅威で
とほうもない厄介事でさえあるが
しかし経験は無数に
古今東西積み上げられていて
それが各地の習慣に残っていたり
伝承に刻まれていたり
古典に描かれていたり
仏典に記されていたりさえする



*中村元「生き甲斐について」in『人生を考える』(青土社、1994



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