2022年5月29日日曜日

犯人はかならず犯行現場に戻ってくる

  

 

殺戮者だったことがある

 

冷酷無比な

しかも

善のためだと信じて

地球を救うためだと信じ切っての

最悪の殺戮者

 

まだ幼稚園にも行っていなかった

 

住んでいたアパートの後ろに

駐車場が広がっていて

その奥のブロック塀のところに木があり

初夏になると

たくさんアゲハの幼虫がついた

 

殺戮者わたしは

背に蛇の目の擬態のある

けっこう大きな

あのみどり色の幼虫を

宇宙からの侵入者だと思った

ほんとうにそう信じた

 

絶対に地球を守らないといけない

そう思って

石を拾いあつめて

毎日

この侵入者たちを殺しに行った

 

石を投げて

地面に落ちたところに

さらに

石を投げ続ける

侵入者たちは潰れて

青い汁を出して

グジュグジュと動き続けるが

やがて動かなくなる

 

木に一匹もいなくなるまで

こうして

ずいぶん精を尽くして

侵入者たちと戦った

かれらを潰しながら

それでも

生きているから

なんだか

悪いことをしているような気もした

悪いことというより

二度と戻せない

後戻りできないことを

四歳ぐらいの頭でも

やってしまっている気がした

 

あれがアゲハ蝶の幼虫だったと

小学校に入ると

わかってくるようになる

そうして

四歳頃の地球防衛行動を思い出し

なんとじぶんは愚かだったかと

反省するようになる

小学生になってからは

低学年の頃から

もう幼虫を殺すようなことはせず

見つけたら大事に飼って

成虫にするのを楽しむようになった

 

しかし

過去に犯した罪を

消すことはできない

 

じぶんはあきらかに殺戮者だったのであり

この世の夏に飛び舞うはずの

可憐なアゲハたちを現象界から除いてしまった

アゲハたちの舞いの可能性を

消し去ってしまった

そう思って

小学生のわたしは

過去のこととはいえ

じぶんの馬鹿さ加減に落胆した

 

過去に犯したこの殺戮経験が

命あるものに対する

わたしの考えの根底を成している

殺戮者たちについての

考え方も

この殺戮経験から

出てくる

 

大げさなようだが

ぜんぜん

大げさじゃなくってね

 

アゲハの幼虫たちの

潰れたさまが

いまでも

目に

ありあり浮かぶのだ

 

さて

場所は特定されている

 

殺戮の行なわれた場所は

短い期間住んだ

愛知県守山区の矢田川沿いの

コンクリートアパート裏の

駐車場

 

矢田川の土手に出ると

左手にいつも車の絶えない橋が見えたが

それが矢田川橋なのか

宮前橋なのか

千代田橋なのか

小原橋なのか

名古屋第二環状自動車道なのか

わからない

 

それらのどの橋だったのか

アパートはどこだったのか

ただそれだけを

正確に調べるためだけのために

矢田川のそのあたりに

いつか行く気持ちがある

 

犯人は

かならず

犯行現場に戻ってくる

というでは

ないか

 




栗の実の匂いがもうしている

  

 

栗の木が立ち並んでいる

 

沿って

しばらく歩いていく

 

栗は花をつけて

ながくのびた部分が雄花だろうか

毛虫のように毛をのばして

葉のあいだに

垂れている

うみぶどうを思わせる

 

クリーム色の部分が

やわらかそうで

ちょっと触ってみたくもある

 

毛虫のようでもあるので

触らないでおく

 

青くさい

つよい匂いのなかを

歩いていく

 

青くさい

ばかり

思い続けてきたが

栗の木がずっと続くので

匂いから

逃れられぬまま

嗅ぎ続けていたら

匂いの奥に

ほのかに

栗の実の匂いが

もう

している

 

栗を食べようと

皮を剥く時の

匂いが

もう

している

 

 





褐色の背のかがやきを

 

 

かなた

まで

 

草はら

そよぐ

 

 

褐色の

 

   背の

 

        かがやきを

 

 

   始まり

                     と

           して

 

 

 



 

歌集『百十八』(1995)【Blog.「駿河昌樹短歌集成」】所収

「かなたまで草はらそよぐ褐色の背のかがやきを始まりとして」よりのアレンジ

 



夢のからだの



風鈴の

ひとたび

響く

 

そののちも

 

夢のからだの

乳房の

あつさ




 

歌集『百十八』(1995)【Blog.「駿河昌樹短歌集成」】所収

「風鈴のひとたび響くそののちも夢のからだの乳房のあつさ」よりのアレンジ





めぐり来る夏


 


きみの足

ていねいに洗う

湯の音に

 

めぐり来る

 

夏の

夜の

大きさ

 

 



 

歌集『百十八』(1995)【Blog.「駿河昌樹短歌集成」】所収
「きみの足ていねいに洗う湯の音にめぐり来る夏の夜の大きさ」よりのアレンジ





 

ぱっくり


 

 

ぱっくり

 

      と

話の絶える

とき

 指

 

ひとつひとつを

確かめ

られ

 

 



 

歌集『百十八』(1995)【Blog.「駿河昌樹短歌集成」】所収
「ぱっくりと話の絶えるときの指ひとつひとつを確かめられて」よりのアレンジ

 




この舌の裏の淡雪

 

 

ジェラートの

種類を

すべて知っている

 

この舌の

裏の

淡雪の

さま

 

 

 


 

歌集『百十八』(1995)【Blog.「駿河昌樹短歌集成」】所収
「ジェラートの種類をすべて知っているこの舌の裏の淡雪のさま」よりのアレンジ





夕日は音をたてて降る


 

さらさらと

夕日は音をたてて降る

 

うつくしい

きみの

腿から下を

 

 

 



 

歌集『百十八』(1995)【Blog.「駿河昌樹短歌集成」】所収
「さらさらと夕日は音をたてて降るうつくしいきみの腿から下を」よりのアレンジ





2022年5月27日金曜日

まだまだじゅうぶんに着られる

 

 

数年前から

家でワイシャツを着るようになっている

アンダーシャツを着ずに

じかに肌に着る

夏場でも

冬場でも

これが気持ちがいい

綿の割合が多いのがいちばんいいが

化学繊維のものでも悪くない

冬場などじかに肌に着ると

ワイシャツだけのほうがじつは温かい

 

子どもの頃から

アンダーシャツを着てから

ワイシャツは着るものと育てられてきた

しかしヨーロッパの文化を学ぶようになってから

ヨーロッパの男たちは

じかにワイシャツを着るのを見た

あれは日本のように蒸し暑くないところでの着方

そう思って納得しようとしてきた

 

青年時代から中年にかけては

夏場はフランスで過ごすことが多くなった

フランスの男たちでも

暑い地方ではワイシャツの下にアンダーシャツを着る

汗をかくのでワイシャツと肌の間に

一枚挟んでおくほうが好都合だ

 

しかし涼しい地方や

晩秋や冬などはそのままワイシャツを着る人が多い

そんな着方を見ているうち

ワイシャツとはなにかと自分なりに考えた

なんといってもワイシャツは下着で

同時に表側はそのまま人目にさらせる衣服でもある

裏は下着で表は他人に見えてもよい衣服

ワイシャツというのはそんな不思議なもの

半分は下着なので

ワイシャツのちゃんとした着方は

やはり上着あってのものということになる

 

アンダーシャツを着ずに

数年前から

家で

じかに肌にワイシャツを着るようになったのは

ヨーロッパではそうするとか

本来のワイシャツ文化はどうだとか

そんな小難しい気取りのためではなく

外出着として買い集めたワイシャツがいっぱいあって

背広とあわせて着るにはくたびれたものがあって

しかし捨てるにはまだまだ惜しいものがあって

そうしてじかに着てみたら気持ちがよくって

という流れだった

 

暑ければ胸をはだけていればいいし

酷暑の日に汗をかくなら他のシャツに次々取り替えればいいし

寒ければ上になにか羽織ればいいし

近くへ買い物に出る程度ならジャケットを羽織ればいいし

こんなに便利な衣類はめったにない

とあらためて見直した

 

ほんとうに

歳月が経っても丈夫なままの生地のワイシャツもあって

古いものなのにまだまだ捨てられないものがある

むかし下北沢ちかくに住んでいた頃

J.Crewの店舗ができたことがあって

仕事がえりによく立ち寄り

ネクタイやワイシャツをよく買った

ブルーのワイシャツを好んでいた頃で

いい色柄のブルーのワイシャツを何枚も買ったが

時には気分を変えて他の柄や色のシャツも買った

当時のJ.Crewのシャツは生地がよくて

アイロンをかけるときれいに皺ひとつなく仕上がった

いっしょだったエレーヌといっしょに寄ると

こちらのほうが似合うとか

たまにはこういうのもいいとか

いろいろ見つけてきてプレゼントしてくれた

 

いまさらながらに

いい生地のワイシャツには驚かされる

三〇年以上経つのに

エレーヌももう死んだのに

もう下北沢にはまったく行かないのに

いま住んでいる家のなかで着たり

近くに歩きに出るのに着る程度なら

J.Crewの三〇年前のワイシャツは

まだまだじゅうぶんに着られるのだ

まだ何枚もある

ネクタイにしても

あの頃と同じように使えるまま

何十本も

まだ保存している