2022年6月2日木曜日

美しい日本の梅雨の六月

 

  

学生のころ

六月はきらいだったが

梅雨の時期で

めんどうだからだろうかと

いまでも

思うことがある

 

けれども

そんな六月ぎらいがどこから来たのか

と思い直すと

子どものころからではなかったと

気づく

 

子どものころ

雨はめんどうでも

傘を持ってふざけるのはおもしろかったし

水たまりで遊ぶのはおもしろかったし

水のたまった田んぼでは

雨などおかまいなしに

カエルを追ったり

水面を泳ぐ蛇を眺めたり

泥んこには友だちと入り込んでいったり

けっこうおもしろくて

男の子にとって

六月はいやな月ではなかった

 

中学校に入ると

そんな雨あそびもできなくなるし

傘をさしながらも

雨に濡らさないように

単語帳を見ながら歩いたりしたので

そのころから

やっぱり

六月ぎらいは始まったものか

と思う

 

しかし

いちばんの理由は

梅雨をきらう母のくりごとを

毎日聞かされ続けたためだろう

雨はいやだ

梅雨はいやだ

洗濯物は乾かない

食べ物にはカビがわく

雨具のことを考えるのはめんどうだ

たしかに

それらはめんどうだが

いやだいやだいやだいやだと

朝から晩まで言われ続けていると

子どもの心は

すっかり汚染されてしまう

 

家出してから

いっしょに暮しはじめたエレーヌは

まったく違った

乾燥したフランスと違い

日本の梅雨はうるおいそのもので

肌に気持ちよく

アジサイはきれいで

カタツムリもかわいい

カエルも出てきて

目を楽しませてくれる

庭にも小径にも家のなかにも

しめった蔭ができ

それらがひかえめに美しく

得がたい味わいとなって

毎日がおとぎ話の世界のようだと

いつもうれしそうに話していた

 

生まれ育った

じぶんの本性と相容れない家で

押しつけられ続けてきた

季節への嫌悪を

すっかり反転させるこんな出会いによって

わたしは青年時代までのじぶんを捨て

おろかな親たちの価値観を捨て

感受性をもゼロから作り直す旅に

出ることになった

 

2010年に逝ったエレーヌ

あなたがあんなに愛した

美しい日本の梅雨の六月が

今年も来ています

 


 

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