2022年6月29日水曜日

クレット courette

 

 

アンリ・ゲラールの写真を見ていたら

Une courette de la rue des Amandiers, Paris

というのがあった

 

正面に古い二階建てのアパートがあり

右側にも古い二階建てのアパートがあって

石畳の小さな広場のようになったところに

四人のひとが写っている

 

中央では陽をあびて

高齢らしい婦人が椅子に座っていて

すぐ脇には

中年以上と見える婦人が

やはり椅子に座って編み物をしている

 

奥では

アパートの陰になったところに婦人が座っており

そのわきには男性らしいひとが

窓の石の額縁の外に張り出た部分に座っている

 

couretteという単語を忘れていたので

調べたら

petite cour intérieure

Dictionnaire Larousse Pocheにあって

小さな中庭だとわかる

 

豪華とはいえないアパートの中庭の

天気のいい日に住人が集まっての

ちょっとした歓談の時だが

古い日本語なら端居とでもいえそうな

くつろいでいる感じなのがいい

つつましい生活をしている者どうしで

おたがいの人生をある程度は見つめあって

わかりあってきたらしいのが

よく出ている

 

勤めや用事から戻ってきた住人は

まずここの中庭にたむろするひとたちに迎えられ

今日はこんなことがあっただの

あれには困っただの

面白いことがあっただの

すこし立ち話してから自宅に入っていっただろう

2022年の現代日本が

完全に捨て去り忘却し去った暮し方だ

 

しあわせな暮しとはどんなものだろうと

見知らぬ路地を見ても思う

古い写真を見ても思う

すくなくとも昔はあちこちで

自分ひとりの心の外やからだの外に

しあわせを醸し出したり

ほかのひとも触れるかたちで置きっぱなしにしておく

そんなやり方があった

 

そのころの「わたし」とは

希薄なちっぽけな「わたし」だったのか

それともいいぐあいに曖昧な

大きな「わたし」だったのか

 

 


image.png

 Henri Guérard     Une courette de la rue des Amandiers, Paris, 1981






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