2022年6月24日金曜日

風はのれんを

 

 

 

あなたにあてて 私はいつも 

歌っているのよ いつまでも

悲しい歌も 愛しい歌も

みんな あなたのことを

歌っているのよ

中島みゆき 『夜曲』

 

 

 

 

若い人が

中島みゆきの歌を送ってきた

ぼくが知らないと思っているらしい

すこしは知っているだろうが

それほどは知らないと思っているらしい

 

送ってきてくれたのは

ありがたい

 

古い歌なのだから

若い人より古いぼくのほうが

よほど耳にしてきたはずだろうに

とは

思わないのか

そこが

ちょっと

ふしぎではあるけれども

 

外に出て

夕方や夜に帰ってくると

肌に汗ばみが

残っているような季節になった

今日も汗をかいた

帰宅して

すぐシャワーを浴びる

 

バスルームから出ながら

しらけの時代を

幻滅の時代を

生きのびようとする歌だったな

中島みゆきは

頭のなかで

短いまとめをする

だれに

レポートするわけでも

ないのに

 

「街頭インタビューに答えて

わたし

やさしいひとが好きよと

やさしくなれない女たちが答える」

という歌詞が

ぼくの左目から

つうっと

流れ入って

右頬のちょっと下あたりに

出てきたりする

 

「今夜じゅうに行って来れる

海は

どこだろう

ひとの流れのなかで

そっと

時刻表を見上げる」

という歌詞が

左のこめかみのあたりに

なつかしい雲のように

しばし漂う

 

寺山修司の

「列車時刻表には

私の乗る予定のない列車名が

並んでいる」

という言葉とあわせて

この歌詞を

痛切な気持ちで

鼻歌したことがあったのを

思い出す

 

「だれが悪いのかを

言いあてて

どうすればいいかを

書きたてて

評論家やカウンセラーは

米を買う」

とも

歌っていたな

 

「まよえる子羊は

かれらほど賢い者はいない

と思う

あとをついてさえ行けば

なんとかなる

と思う

見えることと

それができることは

別ものだよ

米を買う」

という

歌詞など

いまもそのまま真実だし

いまこそ

いよいよ真実

と思う

 

むかしむかし

友の引越しを手伝いに行って

ひとつひとつ

荷物を

軽トラに運んでいる時

そこの下宿のほかの部屋から

中島みゆきが

流れ続けていた

 

なぜだか

わからないが

『蕎麦屋』ばかりを

くり返していた

 

「風はのれんを

ばたばたなかせて

ラジオは知ったかぶりの

大相撲中継」

 

記憶に

この歌詞は刻まれ

心の絵のひとつとして

定着した

 

これ以上の

詩に

いくつ

出会っただろう?

 

せつない時代から

さらに

せつない時代へ

せつなく生きのびる

せつない

せつないにっぽん人にとっての

こんな詩に?

 

「風はのれんを

ばたばたなかせて

ラジオは知ったかぶりの

大相撲中継」





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