大津皇子が処刑され
二上山に埋葬された時に作った
……と伝えられる
姉の大伯皇女の歌を
ひさしぶりに見直していた
うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟(いろせ)と我(あ)
有名な絶唱で
あれはどのあたりだったか
二上山のふもとにも歌碑が立っていて
万葉の歌に惹かれた旅人を
立ち止まらせる
いうまでもなく
「うつそみ(うつせみ)」は
この世に生きている人間のことで
死んでしまった弟と違って
この世にまだ生きているわたしは
明日よりは
二上山を弟と見るのか
と歌っている
二上山に弟の遺体が埋葬され
姉からは
二上山全体が
いまは
弟のからだに見えるように思える
ただの姉と弟の関係以上に
ひょっとしたら
恋しあう同士のように非常に仲がよかった
とも言われる
大津皇子と
姉の大伯皇女
私はだいぶ前
奈良や明日香にとても惹きつけられて
何度も何度も訪ねたことがあった
多い時は月に三度も行っていたほどで
いまから思うと
なにか
あの地方に憑依されていたような感じだった
二上山にも何度も登った
登るにしても下りるにしても
ほとんど他の人に会わない
たいていはたったひとりの孤独な登山だった
そう大きな山ではないので
ひとりでもふつうは危険なことはない
それでも
ところどころには急坂もあって
けっこう大変な場面もある
真冬の登山中には
頂上のあたりで雪が降ってきて
けっこう大雪になったこともあった
二上山で不思議だったのは
登ったり下りたりする時
いつも誰かに見られている感じがすることだった
ときどき
倒木や木の切り株に座って休んで
水を飲んだり
汗を拭いたりする
そういう時に
黙って座ってはいけないように強く感じて
「座らせていただきます」
とわざわざ声に出し
許可を取るようにしてから座った
ふだんはそんなことはしないのに
自然とそんな心持ちになってしまう
そういう心の変化が
自分でも不思議に感じられた
大津皇子の墓があるということは
おそらく
他の人もこの山のあちこちに埋葬されてきたのではないか
と思われたが
そういう経緯が
あの山の雰囲気を作り出したのか
とも思った
「弟」をイロセと呼んでいるが
これは
母が同じ弟のことを言うのらしい
当時は
母が同じ兄はイロエ
母が同じ兄や姉はイロネ
母が同じ弟や妹はイロモ
などとも呼んだらしい
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