2023年6月28日水曜日

けっして外へ踏み出ることがない言葉

 

 

 

善とはなにか

善きものとはなにか

 

これについては

マイスター・エックハルトは明解に語っている

 

善きものとはなにか

みずからを分かち与えるものが善きもの

みずからを分かち与えて役に立つ人を

わたしたちは善き人と呼ぶ*

 

だから

ただの隠者は

善き人でも悪しき人でもないことになる

 

なぜならば

彼は

みずからを分かち与えることもしなければ

役に立つわけでもないから

最も多くを分かち与えることができるのは

神である*

 

これはシラ書第五十章第六節と第七節を引用して

知性と意志とについて述べられた説教に見られる見解だが

この説教には

三つの言葉についての

興味深い見解も述べられている

 

創造された言葉というものがある

それは天使であり

人間であり

被造物のすべてである

 

これとは別の言葉がある

思惟され

述べられ

それによって

わたしが何かを思い描くことが可能となる言葉

 

しかし

さらに別の言葉がある

この言葉は述べられることがない

思惟されることもない

けっして外へ踏み出ることがない

むしろ逆に

語る者の内に永遠にとどまる

それは語る父の内にあり

絶えず受け取られ

そして内にとどまり続ける

 

知性は

いつも内に向って働く

何であれ

より繊細に

より精神的になるにつれて

いっそう力強く内に向って働く

知性が力強く繊細になるほど

知性が認識するものもますます強く知性と合一し

ひとつとなる

 

しかし

物質的事物ではそうはいかない

物質的なものが力強くなればなるほど

それらはますます外に向って働く

 

神の浄福は

知性が内に向って働くことのうちにある

その際「言葉」は内にとどまったままである

自分自身のうちに漂うこの認識の中で魂の浄福を造り出すためには

魂はそこでひとつの「譬え言葉」でなければならない

神とともに一なるわざを働かなければならない

神が浄福であるその同じ認識の内にあり続けながら*

 

非表現や反表現を

時どき呟きたくなる人びとの思いを代弁した

みごとな説教というべきだろう

エックハルトはすでに13世紀から14世紀に

これを語っている

 

述べられることがない言葉

思惟されることもない言葉

けっして外へ踏み出ることがない言葉

語る者の内に永遠にとどまり

語る父の内にあり

絶えず受け取られ

内にとどまり続ける言葉に

霊の目や口や耳を向け続けて

人界は言葉少なに通過していこうとする人びとに

わずかでも

この書きつけが届くことを

 

 

 

 

*マイスター・エックハルトからの引用は、田島照久編訳『エックハルト説教集』(岩波文庫)によりながら、適宜書き換えてある。






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