2023年12月29日金曜日

箔付けをする必要はない

 

 

 

あるスピ系のひとの書いた記事に偶然出逢ったので

ちょっと

読んでみたら

ものには予兆とかサインがある

と書いてあった

 

ふむふむ

そういうこと

あるよね

と思いながら

読み進んでみた

 

数日前に

昼間

ある車に

うしろから

ほかの車がぶつかるところを見た

とあった

たいした事故ではなく

前の車のうしろにちょっと傷がついたぐらいの

ことだったらしい

 

そのひとが

昨日

ある駅の前で

じぶんの車から降りたら

うしろに駐車しにきた車が進みすぎて

彼の車に軽くぶつかったという

 

ふつうなら

ぶつかるはずもないのに

うしろから来た車の運転者は

ちょっと不注意をして

車を進めすぎてしまった

たいした事故ではないものの

彼の車のうしろにちょっと傷がついてしまった

とはいえ

たいしたことはないので

時間がとられたり

面倒になったりするのを避けて

警察も呼ばず

保険会社に電話もせずに

もういいよ

と言って

そのままにしたと言う

 

このように

じぶんが見た小さな事故と

じぶんが経験した小さな事故との

ふたつを並べて語ってから

このスピ系のひとは

数日前に見た

他人の車どうしの小さな衝突が

昨日じぶんが経験した小さな事故の

予兆やサインだった

と書いていた

 

おしゃべりならば

べつに

どうということもない話で

そうねえ

予兆とかサインだったかもね

そういうことって

あるかもね

と答えておけば済む

本人がそう感じたのならば

そういうことでかまわないのだ

スピ系でなくても

こんなふうに感じるようなことは

いくらもある

 

ところが

このひとのスピ系っぽさは

この後

俄然

発揮されることになる

 

ここで

ハインリッヒの法則を持ち出してきたのだ

 

ハインリッヒの法則は

1:29:300の法則」ともいわれる

 

同じ人間が1件の重い災害を起こしたとした場合

背後には

29件の軽傷災害を起こしており

300回は傷害のない事故を起こしている

とするもので

1回の重い災害の裏には

300回の無傷害事故が隠れており

数千の不安全行動や不安全状態が存在することを

指摘したものである

 

アメリカの損害保険会社で働いていた

ハーバート・ウィリアム・ハインリッヒというひとが

膨大なデータを分析して発見した法則だった

 

論文の該当箇所の翻訳は

次のとおり

 

傷害を伴った災害を調べると,傷害は伴わないが類似した災害が多数発見されることがよくある。潜在的有傷災害の頻度に関するデータから,同じ人間の起こした同じ種類の330件の災害のうち,300件は無傷で,29件は軽い傷害を伴い,1件は報告を要する重い傷害を伴っていることが判明した。このことは5000件以上について調べた研究により追認されている。

重い傷害とは保険業者や(米国の)州の補償委員に報告されたものをいい,軽い傷害とは応急手当だけですむ擦り傷や打撲等をいう。

傷害を伴わない災害とは,人間や物資,光線などの移動(スリップ,転倒,飛来,吸入等)を伴う計画外の事象で,傷害や物の損害の可能性があるものをいう。

報告のある傷害(重い傷害)のうちの大多数は死亡事故や手足を切断したような大事故ではない。全部が休業を伴うものでもなく,補償金の支払いを必要とするものでもない。

傷害を伴うにせよ伴わないにせよ,すべての災害の下には,おそらく数千に達すると思われるだけの不安全行動と不安全状態が存在する。

(H. W. ハインリッヒ、D. ピーターセン、N. ルース(著)井上威恭(監修)、(財)総合安全工学研究所(訳) 『ハインリッヒ産業災害防止論 海文堂出版(株) 1987年(昭和62年)9月 2版 p.p.59-60)

 

ハインリッヒの法則は

重い傷害を発生させる災害の背後に

保険会社に報告されない規模の非常に多くの軽度の災害が起こっている

と指摘するものであって

ある軽微な事故が

後に起こる重大事故の予兆であったり

サインであったりすると指摘するものではない

 

じぶんが見た小さな事故を

後になってじぶんが経験した小さな事故の

予兆やサインであったと「感じた」

とだけしておけばいいのに

わざわざ趣旨の違うハインリッヒの法則などを持ち出してきて

箔付けをする必要はないのだ

 

逆に

こういうヘンな箔付けを行なうから

スピ系は

必要以上にあやしく思われてしまうことになる

 

ふしぎ大好き系とか

超常現象大好き系とか

直観や霊感や霊能力などに大いに興味ある系

というのが

スピ系ということならば

わたしも

誰にも負けないスピリチュアル系なのだが

理屈のあわないことを

断固として受け入れない性質も強固なので

世の曖昧模糊スピ系とは

どうしても

おおいに

相容れないところが多くなってしまう

 

だいたい

このひとが経験したことは

予兆やサインというより

やや時間枠を広めに取って展開された場合の

シンクロニシティ現象

の可能性もあるのだから

すぐに「予兆やサイン」などという表現で塗りつぶしてしまっては

実態を把握しそこねる場合もあるのだ

 

 

 



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