2023年12月13日水曜日

だからわたし自身も極悪人だというのです


 

 

じぶんより

ずいぶん若いひとたちを見ていると

いろいろと友だちがいて

楽しそうだなあ

世の中というものが

じぶんに反応を返してくれるものに

感じられているようで

張りあいがあるだろうなあ

と思われます

 

そうでない若いひともいるでしょうが

それでも

この先の人生は

うんざりするほど

長く感じられているでしょうから

そのうち新しい友だちも

いろいろと出てくるだろう

と思っているにちがいありません

 

わたしの場合

二十年も前の時点で

友だちと思っていたひとのうち

17人ぐらいはすでに死んでしまっていました

自殺者は13人ぐらいでした

詩歌や哲学や宗教や

芸術などに関心の深い友だちが多かったので

世の中のいろいろな醜いことや

不公平なことや

冷酷さや無関心に

ことのほか感じやすいひとは

ともすると

サッとこの世を離れる気持ちになってしまうのです

 

さらに年齢をかさねたこの頃は

もうほとんどのかつての友だちの消息が

つかめなくなっています

こちらが変わらぬ気持ちでいるつもりでも

おたがいの間に生じる生活の違いや

むこうの不如意などのために

あいかわらずの友だちとしては

つきあいづらくなったりもするのでしょう

年賀状を出しても返事が来なくなり

そうすると電話してみるのも

なんとなくはばかられ

数年そんなことが続いていくうち

フェイドアウトというか

縁は切れていってしまう感じです

 

フェイドアウトしていった

消息のあいまいなひと以外に

あちこちからの噂や推測などから

たぶん死んでしまったのではないかと思えるひとは

あたまのなかでの最近の概算では

もう20何人かに達します

若いひとたちのようすを見ながら

ばくぜんと友だちというものを思ったりするとき

ちょっと痛切な気持ちになるのは

こんな概算をするときです

 

もう死んでしまった友だちや

消息の不明になってしまった友だちには

世界で起こる戦争や

ときどき起こるパレスチナの虐殺などの際に

じぶんのことのように激していた人たちもいました

政治の腐敗について嘆き続けるひとたちもいました

そうした出来事の起こっているときには

わたしとてこころ穏やかではなかったのですが

「こんなことが人類で許されていていいのか!」と

わたしに掴み掛からんばかりに問うてきた友だちが

何人もいたものなのです

 

彼らがまだ生きていて

21世紀ももう20年代になっている現在を見たら

どんなに激しく嘆くことだろうかと

容易に想像がつきます

どこかでいま生きていながら沈黙してしまったひとたちも

ひどいこころの苦しみを抱えながら

ニュースに触れまいと努めているのではないか

などと想像します

 

彼らよりも

じつは

ひどい経験を若いときにしたわたしは

深いこころの傷が

逆に

この世で起こることへの強い楯となったらしくて

どんな時代にも

これに救われるようなぐあいになりました

この世には

醜く冷酷で無関心なさまざまなレベルの悪を体現している

極悪人たちしか存在しない

極悪人たちしか社会のシステムのなかでは生き延びられない

とわたしは日常的に悟っていますが

ここまでわたしを悟らせた経験の数々がなければ

この酷い21世紀など

わたしとて

生き延びてはいけなかったでしょう

 

わたしも極悪人です

 

今週も

先週も

魚を食べたり

肉を食べたりしませんでしたか?

 

どうして

魚はあたりまえのように殺されて

わたしに食べられるしくみになっているのですか?

 

どうして

豚や鶏や牛は

あたりまえのように殺されて

わたしに食べられるしくみが許されているのですか?

 

どうして

どんどん爆撃がされて

次々ひとが殺されていく場所に

わたしは大急ぎで救いに行かないのですか?

 

どうして

住む家を失うほどまでになって

高速道路の下や

川ぞいに

段ボールで家のようなものを拵えて

ろくにシャワーも浴びずに

黒っぽくなった肌で日々を暮らしているひとたちに

なんとか精一杯のことをして

わたしは助けてやろうとしないのですか?

 

だから

わたし自身も

極悪人だというのです

 

あるいは

極悪人という

いまの時代の「ふつうのひと」の皮を被って

けっして同調もしなければ

理解も共感もせず

どこまでも

いつまでも

人類を観察調査している

根底からの

異邦人

異星人

 





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