2017年11月1日水曜日

『シルヴィ、から』 57

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

  (第二十四声) 2

  (承前)

路上の人たちの姿はどんどん小さくなっていった。
もう、どうにもならなかった。
他になにか忘れたことがありはしないかと思い、記憶を探った。シルヴィのことが思われた。なにかの縁で、シルヴィとはふたたびなんらかの交流を持ち得るような気がした。しかし、シルヴィの名に伴って、粉をはたいたような白い墓標が頭に浮かんだので、今度会う時には、彼女は墓の下に横たわっているのではないかと思った。
きっと、そうに違いない。わたしの手を永遠にくり返し擦り抜けていくのが、彼女のわたしに対する関係であるに違いない。
しかし、どうして白い墓標がふいに浮かんだのか、わたしにはわからなかった。しかも、それはひどく懐かしい思いをわたしに抱かせたのだ。
しかたなく、〈墓〉という絶対の交流不可の状態を思うことによって、わたしの内奥がシルヴィをどうにか思い切ろうとしているのだろう、と考えることにした。わたしは無理にもシルヴィの心象を心のどこかへ押し込み、それとどう関係があるとも知れぬ白い墓標の心象をもかろうじて捨て去って、『いいんだ、シルヴィのことは終わったんだ。決着がついたんだ』と自分に呟いた。
しかし、そう呟いてみると、実際にはなんの決着もついていないことが判然としたように感じられた。シルヴィにもあの娘にも住所を聞かなかったし、娘には名前さえ確認しなかった。なにひとつ、じつは決着がついておらず、しかも、もはや決着のつけようもないのだった。
後ろの窓からはもうなにも見えなかった。バスは角を曲がり、見えるのは、次々流れていく道と、その両側の森と、時おり枝々の間に開ける空だけだった。
みんな自分の席に着き、無言で、流れる外を眺めたり、もの思いに沈んだりしていた。
わたしたちは、オックスフォードを周って数日後にロンドンに戻ってくることになっていたが、すでに何人かは、そのロンドンで与えられる自由時間を利用して、ウィンクフィールドをもう一度訪れる計画を立てていた。
わたしの場合は、ふたたび合宿所を訪れたからといってどうなるわけでもなかった。あの娘は今日発ってしまうのだし、シルヴィにしても、再会したところでどうにもなるまいと思われた。そう思うと、いっそう悔やまれてならなかった。
ある曲がり角でバスが速度を落とした時、そこに立っていた標識にWinkfieldという字を見出したように思って、とっさにわたしは、膝の上に乗せていたカメラを手に取ってシャッターを押した。その字を写真に撮ることによって、なにか悔いを少しでも晴らせるように感じたからだった。
しかし、わたしは誤っていた。そんなことをしても心が晴れることはなかったし、その上、これは日本に帰ってフィルムを現像してからわかったことだが、標識にはWinkfieldなどとは書かれていなかった。写真屋からたくさん袋を抱えて帰ってきて、机に広げて見ていくうちに見出した一枚の写真には、Windsorまで何キロと書かれた標識が写っていた。
だが、その写真は、あの時とっさに写したにしては、驚くほど鮮明に、いくらのブレもなく被写体を捉えていた。わたしの写真を見る人は、家族でも友人でも、誰ひとりこの一枚に注目することはなかったが、それでもわたしは長い間、この写真を見るたびに、よくこんなにもうまくはっきりと撮れたものだと、ひとりで感心していたものだった。

(第二十四声  終わり)


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