2017年11月25日土曜日

『魔法使いアヤ』(譚詩2005年作) 3 最終回


 (承前)

 夜明けの様子をたっぷりと眺めた後、いつもとほとんど変わりなく日中を過ごしたアヤは、夕方、ミーナの試合が行われるという都会の大きな広場に飛んだ。ミーナの力量が心配だったわけではなく、相手となるなにものかの正体を危ぶんだわけでもなかったが、どこか腑に落ちないものを感じていたのだ。
 大聖堂の正面につくられた大きな広場では、この日は夕方まで、衣料品や雑貨の市が出ていた。まわりを食料品や日用品の商店が取り巻いているので、夕方ともなると、たくさんの人で賑わっていた。
 人間の中に交じる時によくそうするように、アヤは少女の姿に変身していた。九歳か十歳程度の少女になるのがいちばん楽だったし、行動も楽な場合が多かった。時代や場所の流行に自動的に馴染むような術を使うので、ちょっと見ただけでは、外見からはふつうの女の子に見える。が、もし同年代の女の子たちとしばらくいっしょに過ごさねばならなくなったら、勘のいい彼女たちには、「この子、ちょっとヘン…」と感づかれたかもしれない。
 魔法使いの試合などというと、どこか荒涼とした原野や深夜の森などが舞台になると想像されがちだが、実際には、このような繁華な場所で、人間たちには誰にも気づかれずに行われる場合が多い。楽しみにしてしまっておいたコンサートチケットを、音楽ファンの机の引き出しから跡形もなく消滅させてしまうような小さな魔法試しから始まって、喧嘩別れして長いこと経つ男女を、すっかり和んだ心持ちにさせてから、広場の雑踏の中で鉢合わせさせ、一気に結婚へと持ち込むような魔法合戦は、かなりよく行われる。まだ見習い魔法使いだった頃、アヤは、貧乏な家庭の雀の涙ほどの全財産を拝借して、わずか三十分のあいだに世界中の取引市場を流通させ、巨万の富にして、その家庭に返してやったことがある。世界中で名を知られているある大富豪の数十代前の家庭がそれで、魔法使いたちはその家の名を聞くと、すぐにアヤの魔法の華々しい成果を思い出すのだった。
 「さあて、どんなふうに行われるのかしら?それに、ミーナはどこ?」
 そう思いながらテレパシーで探すうち、すぐに気づいたのは、ミーナがこの広場にはいない、ということだった。アヤはすぐにテレパシーの方向を変えて、世界中に向けてミーナの波動の所在を探ってみた。すると、ミーナはなんと、いつも住んでいる別の都市にいるではないか。遠隔地にいるミーナに、アヤはテレパシーで聞いてみた。
 「ミーナ?どうして、こっちの街の広場に来ていないの?昨晩やってきて、今日ここで試合をするって言ったじゃない?」
 すぐにミーナから声が返ってきた。
 「アヤ!ちがうわ。私、昨晩なんて、あなたのところには行ってない。それに、試合なんてないわよ。するわけないじゃない!?
 やられた!、とアヤは思い、それでは、なにが私をここに?と訝って、周囲を見まわしてみた。
 探すまでもなく、目の前に、見覚えのある、すらりとした背の高い女性が立っていた。
 「思い出した?私よ、アヤよ」
 五〇年以上前までだろうか、アヤ自身が好んでたびたび変身した、若い母親ふうの姿がそこにあった。得意のレパートリーのひとつだった。
 いろいろと相手に問うまでもなかった。たしかに目の前にいるのは、自分自身なのだ。日ごろのアヤがコントロールしきれていなかった欲望が、外部に別の存在を出現させ、その存在によって欲望の成就が図られようとしている。アヤに限らず、これはじつは、あらゆる人間に起こっていることで、一般的には運命とか宿命とか偶然とか因縁とか呼ばれがちだが、ようするに、ひとりひとりの人生のさまざまなドラマの根幹をなすものだった。身に起こるすべては、じつはみな、自分自身であり、自分自身が望んだものなのだーー、アヤが知り尽くしてきた人間の根本原理だった。
 なんていう日だろう、ミーナの姿をして昨晩出現したあれが、…私自身が、謎めいた告げ方をした「明日」、それが、これなのだ。数百年このかた、経験したこともないような「明日」が来たんだ!ーー  
 若い母親にしっかり手をひかれて、いや、自分自身に手をひかれて、アヤは抵抗する気にもなれずに、されるがままに広場から連れ出されていった。まもなく、魔法の力もすべて失せてしまうに違いない、だって、私が望み続けてきてしまったんだから。自分自身に向けた最後の最大の魔法が、はっきりと動きはじめてしまっているんだから。そうして、あんなにも長いあいだ魔法使いとして、平穏な森の中で暮らしてきたことだって、すっかり忘却してしまうに違いない。それだって、きっと望んできていたことなんだから… 
そう思うと、いままでの自分のあれこれが痛切なまでに懐かしくなり、こみ上げてくるものがあった。涙で目がくもり、あたりの様子が見えづらくなった。さようなら、私!あの森も、あの館も、みんな、さようなら……
 広場から大通りに出る角に書店があって、店頭には近ごろ評判の、魔法使いの物語が高く平積みされていた。関連した書籍もたくさん並んでいて、『私は魔女に会った!とか、『ミーナという魔法使い』という書名も見えた。『ついに突き止めた!伝説の魔法使いアヤ』という書名が目に入った時には、すでにアヤの頭は、自分の名前と同じ魔法使いがいるのかなあ、と疑問を抱く程度まで、すっかり変質してしまっていた。手を引かれていきながらも、いちばんの売れ筋らしい、いっぱいに積まれている物語の表紙をあらためて見直すと、『魔法使いアヤ』という書名の下に、数百年暮らした森の、あの懐かしい館と、箒に乗ってそこから飛び出してきたばかりの可愛らしい魔法使いの絵が大きく描かれていた。
立ち止まって、アヤが本に手をのばそうとすると、
 「そんなつまらない本、見てるんじゃないのよ。パパがおうちでお夕飯を待ってるわ。パパったら、明日、朝早くから大忙しなのよ。大きなお山と海を壊して、コンクリートで平らに固めて、世界でも最大の原子力発電所の工事を始めるんだって。パパが全部を計画してるのよ。すごいわよねえ、パパ? …でも、アヤにはまだ、わからないかな?」
 若い母親は楽しそうにこう言って、軽快な足どりで、アヤの手を引っ張っていった。

 (終わり)

*『魔法使いアヤ』は、2005年、小説同人誌《イオ IO》4号に発表。今回は若干の改訂を施した。
 《イオ IO》は、すずらかわまき、天河樹懶、大海人丹丘、駿河昌樹4名の同人誌である。
 内容には、30年にわたって実践された、故エレーヌ・グルナックとの魔法修行の経験が反映されている。



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