かの女は森の花ざかりに死んでいつた、
かの女は余所にもつと青い森があると知つてゐた
シャルル・クロス『小唄』
日本をすばらしいと喧伝するのが
オヤ
流行でもしてるのかな
と思わされた
時期の
くりかえし
くりかえしの押し寄せも
二度や
三度ではなかったナ
いろいろなところに住み
いろいろなところを歩きまわってきたが
そんな喧伝のうねりや
さまざまな浮かれ文句の立ち騒ぎのさなかでも
にっぽんの道はどこもさびしかったし
さびしくなければ浮薄だった
さびしくも浮薄でもなければ節くれ立って
きたならしく
惨めだった
きれいに舗装された道路に
点々点々と
蛍光灯のしらじらした明かりが続いている
あれを
まぁきれい
まぁ明るい
まぁすばらしい
などと
喜べというのか
歯の浮くような表面ラップのお世辞ことばや
売らんかな売らんかなの心から出てくる
親切めかした柔和さや微笑みを
まぁあたたかい
などと
賛嘆しろとでもいうのか
惨憺
むしろ
人の真の世を求める心の者たちには
どんなところで日々を送っても
生を暮らし
暮らし
無意味に蕩尽させていっても
それらの場所に馴染み
懐かしみさえ覚えるということは
ある
ニンゲンというものの
さびしさ
今になってふりかえれば
どこもさびしい
わびしい
にっぽんのあれらの道々も
なんだか
懐かしいような
ほのあたたかいような
まるで
おねしょして
おねしょして
さんざん干し直した
子供布団のように
あゝ にっぽんは
しょんべんたれの子供の
恥しい
懐かしい
おねしょ布団であったのか!
おしんこと
ほの暗さと
いっぱいのさびしさと
わびしさと
ときどき血迷ったような祭りぶりの
醤油くさい
仕草のしょんべんくさい
ひとびとの国
おふらんすへと
背伸びして
最期のほうではゴムが切れちゃったかのような
ミシマさんの好きだった
シャルルクロスの
『小唄』の
あの詩句
たまには
思い出しておこうか
堀口大学訳で
かの女は森の花ざかりに死んでいつた、
かの女は余所にもつと青い森があると知つてゐた
そう、
にっぽんの
みなさんのうちの若干名は
かの女
かの女
カノジョと読むんじゃなくて
カノオンナ
かしらね?
読むとしたら?
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