2017年11月14日火曜日

『せせらぎ』(譚詩1991年作)  5


 (承前)
  
 暗く寒い、遠い北の海洋から打ち寄せてくる波というのは、長い間、まるでコンサートホールから漏れ出た弦楽器の最低音の響きのように悠々として大空の下を滑り続けてくるものです。しかし、陸から遠くない沖合いで漁を続けている漁船の、若くしなやかな筋肉に汗を光らせて自然と社会とを相手に闘っている男たちを前にすると、そのちっぽけな人間の努力のけなげさ、雄々しさ、美しさに祝福を贈ってでもやるためか、あるいはまた、いかにも海神の随身にふさわしいこの者たちを、永遠の主の許へと少しでもはやく送ってやるためか、わざわざ、ふいに身の丈をいっぱいに伸ばして立ち上がったりするものです。
 妻の死も、それと同様でした。幸福のゆるやかな響きの中に、まるで幸福の基調低音そのもののように溶け込んで、静かに、静かに、そして確実に近づいてきたのでした。
 海神でこそありませんでしたが、おそらくは他ならぬ美神によって、あるいは青春の神によって、妻は選ばれたのです。それとも、妻自身が、美神そのものだったのでしょうか。ともかくも、美と若さ、さらには愛が、この上もない諧調を以てひとつの肉体に集中した瞬間というものが、どれほど急激な仮借ない瓦解をあとに控えているものかを、わたくしは思い知らねばならなかったのでした。
 相対的なものでしかありえないはずの幸福というものが、わたくしと妻という土壌に絶対の華を咲かせていた稀有の時代の終わり、調和という織物の糸が一本やさしく引き抜かれ、風を待つ間もなく、見る見るうちに宙に散っていき始めることになるその瞬間を、わたくしは、思い出すたびにこちらの心に琥珀色の影を深める、不可思議な魅力を持った、しかし、思い出すことが同時に耐え難い痛みでもあるような鮮烈な映像として、心の眼の奥底に焼き付いたままにさせています。
 輝かしい光に空全体が満たされていたある日、外から差し込んできた一条の陽光の下、わたくしは妻の躰を誘い、衣服の胸のあたりを静かに開きました。
やさしい眼をした雛鳥の、あの羽毛や躰つきそのもののような乳房が、陽光のもとに雛菊さながらに咲き出ます。愛する女性の乳房が陽光に照らされる様を見て、奇跡という言葉を思い浮かべない男はいないでしょう。美や喜びなどと言ってみるのでは足りません。この聖なる光景を前にしては、ただ戸惑いをあらわにして言葉を失うことこそが、かろうじて唯一ふさわしい行為なのだというべきです。
 わたくしは手を伸ばし、数本の指の腹で、乳首には触れずに、白い光の反映に燃える乳房の肌に触れます。顔を近づけ、唇で乳首の先になんどか軽く触れてから、口に浅く含みます。しばらくしてから、頬を胸全体に滑らしながら、しだいに強く、やわらかい胸の谷間に顔を埋めていきま
 その時に妻の口から洩れた小さなうめきが、なにを意味するものだったか、胸に顔を埋めていたわたくしには即座には解しかねました。
はっきり感じとられたのは、妻が、一度、わたくしの顔から少し胸を離し、その後すぐに、今度は自分から強くわたくしの頭を胸に抱き寄せたことです。抱き寄せたその時にも、妻は、なにかうめき声を発しそうになったようでしたが、喉のところで強く押し殺したのがわかりました。妻の胸がふいに熱くなり、汗を発したのは、わたくしの気のせいではなかったはずです。
 長い間、わたくしは妻の胸に顔を埋めたままでいたように思います。
押し殺されたうめきの後、ふたりの息づかいの小さな音が聞こえるばかりの時間が、静かに経っていきました。その静かな時間の中で、奇妙にもわたくしは、ひとつの時期が終ろうとしているということを、はっきりと感じたのでした。終わるのならば仕方がない終わるがいい心を決めよう、ーー そんなことさえ考えたのを覚えています。
 これほど長い、静かな愛撫の時は、もう二度とわたくしたちには許されませんでした。乳房の奥に宿った痛みは、まるで、長い心の冬の末に、ようやく宿命の人に出会って始まった愛のように、一時も留まることなく成長していき、数日後には、妻ははやくも、それに耐えかねるようになりました。そこで、やむなく病院を訪ねたのですが、それから何週間も経たぬうちに、次々と、胸ばかりでなく、すでに躰全体に、癌が咲き乱れていることが報告されるようになったのでした。

 (第一章 終わり)



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