2017年11月30日木曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)4


    2 ブラッサンスの国の首都で (続き)

 だが、彼の言ったのとは違う難しさが、ブラッサンスの歌には確かにあると思えた。なんと言ったらいいか、意味が取れるかどうかといったことではないのだ。耳慣れない俗語のせいだというようなものではない。彼特有のリズムとでもいったらよいか、歌の緩急のつけ方や、休止の置き方、子音や母音の独特の、まるで人形劇のどたばたのような楽しさの、かと思うと、薄汚れた川の冬の夕暮れの水が打ち寄せてくる様のような侘びしさの音の並び具合、むしろ、それらのほうが、難しいのだ。聴いている時にはなんでもないが、後で思い出しながら、曲と歌詞とをあわせて口にしようとすると、なかなかできない。意味はよく頭に残っており、印象も強烈なのに、言葉も曲も完全なかたちでは蘇ってこない。まるで、あんなにも生々しく、切実で、時にはわずらわしく、苛立たしく、時には春の野遊びのように心を酔わせるようだった過去の様々な経験のように。
 「でもね、むずかしいよ、たしかに。ブラッサンスはむずかしい」
 「そうだろ? 簡単なはずがない」
 外国人にはわかりづらいフランス的なものがある。それが確認されたからなのか、彼は満足げな表情を見せる。どうむずかしいかをちゃんと説明するべきだろうか。めんどうくさいな。だいたい、彼の満足げな表情の本当の理由も、こちらがいま考えた通りかどうか、わかったものではない。そうしたことすべてを、ちゃんと言葉にして質問し、確認すべきだろうか。キミハイママンゾクゲナヒョウジョウヲウカベタヨウニミエルガ、ホントウニソウカ? ソウダトスレバ、リユウハナニカ? ガイコクジンニワカリヅライモノガぶらっさんすノナカニアルノガカクニンサレタカラナノカ?………
 いやいや。それには及ぶまい。互いに誤解しているかもしれないところを、あえてそのままにしておくのも、事が危険を呼ぶたぐいのものでないなら、悪いこともない。わかりあっていないということは、おそらく、あっていいのだ。
 曲が終わった。
 「次、なににする? 選んでいいよ」
 ディスクのケース数枚の裏をあれこれと見ながら、『幸せな愛はない』にしようか、『修道女の伝説』にしようか、『ゴリラ』か、『エレーヌの木靴』か、と迷う。
 ふと、『フェルナンド』に目がいく。どういう曲だったか、よく覚えていない。聴いたことは確かにあるのだが。ディスクを換えて、プレイボタンを押す。フェルナンド、……女性の名だから、たぶん、失恋の感傷的な唄だったかもしれない。
 はじまる。

     おれはひとりもんなんで
     さびしいときにはこの唄の
     調べでいつも
     楽しむわけさ
     
     フェルナンドのこと思うと
     ビンビン勃起
     フェリシーも同じで
     ビンビンビン
     レオノール思えば
     これまた勃起
     ところがリュリュはちがうんだな
     リュリュには立たぬ
     あれこれと
     やってもどうにも立ちゃしない

 彼がこちらを見て、ニタリとする。こちらもニタリをお返しする。
 「これって、あれでしょう? バンデっていう言葉、この場合はやっぱりあの意味でしょう?」
 「そう、そう。『緊張する』とか、いろんな意味はあるけどね。好きな女の前で肩や背をバンデさせるのもいれば、違うところをバンデさせるのもいるわけで……」
 「なに話してんの、あなたたち? ちょっと来てよ、ミレーユ。こんなの聴いてるんだから。男って、これだものね」
 彼の妻が、台所のほうに行っている女を呼ぶ。ミレーユが来る。
 「ほんと。人前に出せない、ってやつね。最低よ」
 そう言うあいだも、「フェルナンドのこと思うと…」がくり返される。これがリフレインになっていて、何度も戻ってくる。しかも、このリフレインのリズムの調子のいいことといったら! 言葉が、音が、発音とともに宙に飛び出すひとつひとつの息が踊っている。これが楽しさというものだ。これを聴きながら、だれが落ち込み続けていられよう?

 (第2章 続く)


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