時間の流れが思惟をつくり
からだをつくるのは
誰でも知っていること
時間は思惟を流れ
からだを流れるのも
誰でも知っていること
意識は?
時間がつくったのか?
時間がその中を流れて支えているのか?
それとも
無時間でも在り得るものか?
魂
と呼ばれる探検者の
と呼ばれる探検者の
もっとも知りたいことが
たぶん
ここにある
たぶん
ここにある
生きている(と思っている)人間は
他人の死をなんども見る
他人のからだが死んだのを見
思惟が停止したのを見る
それらを時間の中で見る
死んだからだや
停止した思惟を生んだ
時間の
あいかわらずの流れの中で
時間が生んだものに
ほんとうに
死や停止はあるのだろうか?
無時間の域でもあり得るかもしれない
意識に
死はあり得るだろうか?
停止はあり得るだろうか?
…こんなことを記すと
ちょっと
抽象的だね
と言われかねない
特殊な偏狭な写実主義と自然主義の言語空間に
われわれはまだ居る
なんともくだらない
つかの間の
せせこましい言語空間だよね
いにしえのイスラム神秘主義詩人たちよ!
いにしえのユダヤ神秘主義詩人たちよ!
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