2017年11月4日土曜日

『シルヴィ、から』 59

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

  (第二十五声) 2

  (承前)

 その頃のわたしは外国文学を読むこともほとんどなく、ネルヴァルも知らなければ、『シルヴィ』という作品の存在も知らなかった。本にはネルヴァルの肖像が出ていたが、彼の禿げあがった頭や、満月のように丸いいささか滑稽な顔が、ひどく生まじめな面持ちを表わしているのを見ると、正直なところ、わたしはいくらか幻滅を感じた。こんな男に勝手にシルヴィという名を使われては堪らないと思った
彼の作品もまた、わたしには馴染みにくく感じられた。見た目にはそれほど奇抜な方法を取っているわけでもなく、どちらかといえば、読み進みやすく書かれていると思われたが、最後まで読み終わった後で、統一したイメージを頭の中で纏めようとすると、どうしてもそれができないのだった。これは、後にウンベルト・エーコがハーヴァード大学ノートン詩学講義で分析することになる『シルヴィ』の構造性と小説的達成に、まだ近代小説における実験の進化過程に馴染み切れないでいた高校生のわたしが振りまわされたためだが、それと同時に、この時のわたしの身勝手で放縦な読み方にも問題があったに違いない。
作品の中にシルヴィという名が出てくるたびに、わたしは、いまだウィンクフィールドにいるはずのシルヴィを思い出して、わたしのそのシルヴィの姿で作中のシルヴィという名を満たそうとし、ネルヴァルが描いた物語とイメージの展開のしかたに絶えず否を唱え続けていたのだった。
ネルヴァルの名作はわたしにとってはひとつの資料であり、止めようもなく流れ去るわたし自身の物語への見込み薄い回帰の祈りであるに過ぎなかった。そしてまた、ウィンクフィールドでの出来事も、いまやそれが完全に終わってしまっている以上は、もはや同様にひとつの資料であり、また、祈りに畳みかける数知れぬ形容句に過ぎない、というべきだった。
 ロンドンでの丸一日の自由時間に、どうしてウィンクフィールドを訪れなかったのか、とわたしは何度も悔やんだ。合宿中の生活を、閉ざされたひとつの物語として過去に流してしまわずに、それを生かしつつ、そこから出て新しい物語を作るためには、あのロンドンでの自由時間こそが最後の機会だったからだ。
何人かがウィンクフィールドでふたたび楽しい時間を過ごしている頃、わたしは、昼食として裏町で食べたサンドイッチにあたって激しい腹痛に苦しみながら、大英博物館の構内のベンチに三時間ほど座って休息を取っていた。着飾ったインド人夫婦がわたしの横に座って、自分の子供たちに博物館のパンフレットを示していろいろ説明しているのを見続けながら、これ以外はどうしようもないんだ、とわたしは強いて思おうとしていた。ウィンクフィールドに戻ることをせず、たとえ一日とはいえ、ロンドンという新鮮な空間の中へ入って行くこと、自らそちらのほうを選ぶこと、これ以外には為しようはないんだ、と思ってみるのだった。
だから、その翌日、ヒースロー空港で、荷物を調べていた初老の係員に「イギリスは楽しかったですか?」と聞かれた時にも、わたしはすかざす、「ええ、とっても」と答えたものだった。
「日本人ですか?」という彼の問いに、「そうです」と言うと、係員は、「わたしはイギリス人ではないんです。ハンガリー人なんです」と言った。「ああ、そうですか」と頷いて、彼の仕事が終わるのを待った。彼はスーツケースを詰め直しながら、「旅行に悔いはなかったですか?」と、微笑みながら、荷物から顔を上げて聞いてきた。「いい旅行でした」ととっさに答えたが、わたしにしてみれば、それ以外に言いようがないのだった。
すべて終わって、わたしに荷物を渡す時、ぶ厚い眼鏡の奥からわたしを見つめながら、
「わたしはハンガリー人なんです」
とふたたび彼は言った。
「わたしはハンガリーの人間です。ハンガリーを知っていますか?ハンガリーで何があったか、知っていますか?わたしの言うことがわかりますか?」
わたしは何度も頷いて、
「わかります。ハンガリーも知っています」
と言いながら荷物を受け取ると、それっきり、彼に背を向けて離れた。
飛行機の座席に着いてから、「わたしの言うことがわかりますか?」という係員の言葉は、彼の英語をわたしが理解できるかどうかという意味ではなく、なぜ彼があのように、自分がハンガリー人だとわたしに言うかわかるか、という意味だったに違いないと思った。
漠然としか知らないことだったが、わたしは歴史の本で見たハンガリー動乱のことを思い出した。彼は、そのことに端を発する自分というひとつの独特の運命の現状を、わたしに仄めかそうとしたのではなかったか。
後になって、古代に存在したというある大陸で、さまざまな国が入り乱れて戦い合ったことを語る、その大陸で前世を生きたと自称する奇妙な青年と友人になっていろいろ語り合う機会を持った時、わたしはよく、この時の空港の税関吏のことを思い出したものだった。そして、それにあわせて、この時の旅行のあれこれをもいっしょに思い出すにつけて、後のわたしが持つようになる考え方や感じ方や行動の仕方の萌芽の多くが、すでにそこに見出されるように思ったものだった。

(第二十五声 続く)



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