雪のちらつく朝
知恩院の法然上人御堂に入ったら
法話に出くわし
列席者が三人ほどしかない
大きな寒い御堂で
ながながと話を聞き続けていた
その後
法要がはじまり
ちょうど数日前に叔父が亡くなり
叔父は浄土宗なものだから
暮れも押し迫った浄土宗の総本山で
叔父のことを思うのも
なかなかいい供養かと思い
からだが凍えていくのに耐えながら
酔狂もいいところ
二時間ほど聞き続けていた
二時間ほど聞き続けていた
たぶん
このせいだろう
すっかり風邪をひいて
鼻水がひどくなった
この歳末の京都は
鼻水の京都だ
冷えきったからだで
円山公園もまわり
高台寺あたりもまわり
もちろん八坂神社も
行ったり来たり
出たり入ったり
なにが楽しいんだか
目的のない徘徊をし続け
風邪は完成に向かっていった
若い頃とちがって
こんな程度の風邪で活動をやめるようなことはしない
からだはしっかり鼻水を出し
痰を出すべく咳き込んでくれるので
治療はからだに任せておく
薬など買わない
飲まない
困難な今生の航海を
ここまで運んで来てくれたからだを信じて
回復も終焉も
もうすっかりからだまかせだ
最後に寄った建仁寺も寒かったが
寺の雰囲気がよく
面白いものもいろいろ見られて
いつも無計画に徘徊するじぶんの
その気まぐれぶりが
さいわいした
寺を出てから祇園の町にまぎれていく夕べ
さらに温度は下がり
こりゃあ風邪を引くかもしれん
などと思ったが
もう引いているんだから
気分は安泰であった
これで急死したりすれば
寒い京都の思い出とともに逝くわけで
来世は京都人に生まれたりするかもしれないが
それも酔狂だろうかね
などと思って
からだの勝手に動くままに
鼻水を出したり
咳き込んだりしている
そうそう
うちの父方は
もとは京都住まいの武士だったらしく
ある時
関東へ下る僧を守護して
京都を後にして旅に出たという
鎌倉時代のことで
それ以来
関東に定着した
僧が真言宗だったので
代々の墓は鎌倉時代以来
ずっと真言宗の寺に残ってきている
系図は筑波大学の学者が研究対象にしているらしい
京都や奈良に来ると
鎌倉なんかずいぶん新しい時代だと感じるが
古さや新しさを云々したいわけではない
京都には遠い深い縁があるらしい血筋なのを
千年ちかく経た後の末裔のひとりが
千年ちかくの間の代々の先祖の切った張ったの生の後で
ぼんやりと
まるですべて我がことのように
しかしどこかのお伽噺の
うろおぼえの継ぎ足しのように
思い出したり
思い出せなかったり
してみているだけのこと