2017年12月24日日曜日

恋に苦しむ太郎に

[2001年3月]


恋に苦しむ太郎に
それじゃあ、殺しちゃえ、
と言ったらほんとうに木村ゆき子さんを殺してしまった。
捕まってもいいのだけど
捕まったほうがいいのだけど
と俯いて 今
太郎はぼくの脇にいる
冬の海がおぐおぐと鳴っている
風が強いので寒さを感じないほどの浜だ

殺したので
木村ゆき子さんを我がものとしたい
という思いには歪みができたのらしい
木村ゆき子さんはべつの男のものだったらしいが
今ではべつの男のものでもなく
太郎のものでもない
もちろん、考えようによっては
いくらでも思考のカデンツァを付けられるけれど

すぐに捕まろうなんていうのはよくない
と助言
せっかく殺したんなら逃げなければ
殺しを人生の柱としなければ
でなきゃ、木村ゆき子さんも浮かばれないよ
と助言
太郎と木村ゆき子さんとゆき子殺しのあいだには
警察も世間も介入する余地はない
捕まって済むものじゃない
せっかくの殺しを、な、無にするなよ
と助言

以前は透き通っていた太郎に
はっきりした輪郭も質感も備わってきている
やはり殺しは正しい行為だな
だれもが草木獣魚を殺し殺してひとに成っていく
若い太郎にはひと殺しがふさわしかった
むかしはいくさに行って何十人も男女を殺して
ようやく一人前に成れたものだった
と助言
する古老を失って
ぼくらは地盤のヤワなやさしさに腐敗していくばかり

豚の子も牛の子も切ないほどカワイイ
カワイイねえ、って言った日の暮れにはトンカツや
ステーキのごちそうだ、平気で
カワイイって言うそばから豚や牛の子の首に
刃をあてて引く勇気を野蛮だと呼ぶことにした世間に
捕まらないで逃げつづけていけ、太郎
木村ゆき子さんの首から吹き出た血はずいぶん熱かったそうだが
それはおまえの命をしっかり宇宙に植え込んだはず

恋というのは いつも
宇宙への恋、存在と時間への恋
だろうな、太郎
ならば血は夕べの西空
脱力していく木村ゆき子さんの体は
おまえを包むこの天と地、ひかりと闇
殺してよかったな
ほんとによかったなあ
と呟けるようになるまで
おまえは何度となく夕焼けに網膜をさらし
何度となく天地のあいだに命たちを殺す
よく殺したものだけが
いずれよく殺されもしよう
数千年の文明とやらを馬鹿にし切って
おまえはある日
たっぷりと血を注ぎながら大地に身を捨てるだろう
そんな至福に目を背ける世間に
おまえは背中だけを見せておけばいい
正面は未知へ
宇宙へと
向けてどこまでも行け
体が終ったなら魂だけで
魂が終ったなら
より微妙なものだけで



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