2017年12月10日日曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)11


6 ジュ・ヌ・バンド・パ

  その後数年間、私は死んだままだったといってもよいかもしれない。すなわち、私は自信に満ち、大学を出たばかりでまだ小規模ではあったものの、それなりの成功にも幸運にも恵まれ、それがさらに次の自信を生むというふうだった。私に起こっていたのは内部の順調な肥大であり、外部への盲目の度合いの深化だった。社会的に順調な生活のすべてが外部の喪失にあたるなどとは、むろん、私は考えない。が、あの頃の私の場合は、やはりそれだったというべきだろう。
 そうした私の「死」をふいに止めたあの現象、あれは、本当はいつ、どのように始まっていたのだろうか?それについては今でもよくわからないのだが、少なくとも、私の恋人のいつも通りの微笑みに、当然、あれが現われたのは確かだ。
 私は、勤めていた会社のある部長の娘と知り合い、愛し合うようになった。誰にでも起こるような意見の違いや感情のもつれや、そこから始まる小さな喧嘩程度のことはよくあったが、交際にはこれといった問題はなかったし、なによりもお互い、心の上でも体の面でも強く求め合っていた。深く愛し合っているかどうかなど、問う必要もなかった。愛などという言葉の出番は少なかった。互いの、枯れることを知らないかのような欲望は、愛などといった言葉で自分たちの求め合いを定義する暇を与えなかったのだ。愛が良好であった証拠である。私としては、急ぐ必要はないとは思いながらも、近いうちに彼女と結婚するのも悪くないと考えていた。純粋に、彼女とのより密な毎日の到来を望んだためだった。彼女の一族は、世の中で多少は名を知られた家族で、親類縁者には政財界に力を持つ人が少なくなく、冷静に見て、将来こうした関係がいろいろな面で私にも有利に働くであろうことは疑うまでもなかった。しかしながら、私にとってそうしたことは、実際はどうでもよいことなのだった。仕事に関しては、ひとりの力でもやっていける自信があったし、矜持から、そうしたコネクションに繋がることを恥じる気持ちさえあった。
 ある晩夏の休日、高原の避暑地にある彼女の家の別荘に招かれた。付近に親類たちの別荘もあり、私たちが到着した日の翌日には、久しぶりに親類縁者たちが集まって、小さからぬホームパーティーが開かれることになっていた。
 広い庭のあちこちに業者がテントを立てたり、テーブルを幾つも出して、翌日のパーティーの準備をしていた。白い椅子に座ってその様子を見ながら、ときどきビスケットをつまんでいた私に、
 「ねえ、明日、どうかしら」
 と彼女が言った。
 「なにが?」
 「明日ね、ほら、ヒロおじさまとか、ゆっこちゃんのところとか、ツヨシおじさまとか、それに、おじいちゃままでみえるでしょ。だから、発表するのにちょうどいいと思うの。私たちの、婚約…」
 「婚約?」
 「そう。だって、これだけ集まるのって、珍しいでしょ?次は来年になっちゃうもの。それも、春になるか、秋になるか…」
 言い終わらずに私を見ながら微笑む彼女の顔に、その時、私はなにを見てとったのだろう?そこにあったのはいつも通りの微笑みと輝きで、なにひとつ、私の気分を害するようなものはなかったはずなのだが…
 しかし、すべてがその瞬間に終わりを告げたのだった。違うという声が心の中に響くのを、私は聞いた。違う、これではない。これは違う。婚約などあり得ない。この女と結婚して、暮していく?そんなことはあり得ない。違う。これは違う。
 すぐには、この声のことを彼女に言わなかった。夜、彼女の求めは激しく、私は苦しんだ。いつもなら、二時間ほどがたちまち過ぎてしまうのに、その夜は彼女に触れていることさえ不快なほどだった。いちど果てた後は、触れられても、もう、力は戻らず、すぐに萎えた。努めてもだめだった。
 翌日、私たちの婚約は発表されなかった。
 部長は非常に公正な人で、ほとんど一方的に彼女と別れた私に対し、態度を変えるようなことはなかった。部署が違うので、たまにしか顔をあわせなかったが、会うたびに、むしろ私の急変を心配して、いろいろ言葉をかけてくれた。そのため、恋愛の上でのこうした心変わりが、不快なかたちをとって仕事や生活全般に影響するということはなかった。しかし、私自身の心の中で、その頃の生活のすべてに対して、違うという例の声が響き始めていた。誇りにしてよい会社、良好な人間関係、ほぼ満足のいくかたちで認められていた業績、そうしたものすべてに対して、心が、違う、と叫び出したのだ。彼女との関係とは違って、仕事に関しては、私はできるかぎりの忍耐をして踏み止まろうとした。自分の心理状態を反省し、分析しようと試み、いったい何が起こっているのか、なにが不満なのかを知ろうとした。が、どのような努力も、けっきょくのところは無駄だった。今の生活に自分を留まらせようと必死に努めたが、そこから激しい勢いで離れようとする不可解な衝動との戦いにとうとう疲れ果てて、責任の大きかったプロジェクトが軌道に乗ったところで、退社した。
 もちろん、別の仕事をすぐに探さねばならなかった。仕事はいくらもあり、中には、これまでの条件よりよいものさえ見つかったのだが、どの仕事の場合も問題があった。どれもが気に食わないのだ。というより、どの仕事に対しても、違う、という例の声が、強く心の中で響くのだった。なにか仕事を選べば、すぐにも自分が自分の命の根から引き剥がされるかのようで、心がいつも血を流しているようだった。私を構成しているさまざまな要素がばらばらに散り、それらをなんとか取りまとめようと心の中を駆けまわっているかのような毎日だった。
 ある日、会社の三次面接を受けて、ほとんど入社が決まったといってよい帰り、駅のホームの端のほうのベンチに座って電車を待っている間に、これから自分は電車に飛び込むのだとわかった。それは奇妙な感覚だった。これから死ぬ決意がついたというのではなく、死ぬような予感でもなく、気分によっては自殺するかもしれないという蓋然性の認識でもなかった。死ぬ決意などしていないのに、ああ、自分は今入ってくる電車に飛び込むのだ、そうか、そうして死ぬんだな、という、これからの筋書きの覚め切った確認なのである。すべてがもう決まっていて、自分は体を動かすことさえしなくていい。自然に体が電車の下へ落ちていくだろう。そういった、ある意味ではとても安らいだ気持ち、これから起こるであろう出来事への完全な信頼といってよいものだった。
 電車が来るというアナウンスに体が自然な反応を示し、ベンチを立って、ホームの端へと歩み出した。電車が近づいてくる。私は歩調を意識的に整える必要がないのを知っていた。すべてが自然にうまく運ぶだろうとわかっていた。歩みも、電車の侵入のぐあいも、すべて。最後の瞬間に、自分の足の筋肉に、腰に、背に、適切な力が入って、あの銀の車輪の下へ、あやまたず正確に頭から飛び込んでいくであろうこともわかっていた。たぶん、頭蓋骨が砕け散る最初の瞬間を感じることができるだろう。脳が外気に触れ、車輪の回転に引き込まれながら高速で飛び散っていく様は、はたして、多少は感知できるものなのだろうか…
 飛ぼうとした瞬間、後方から強く左腕を掴まれた。体に勢いがついていたので、脱臼したかのような激しい痛みが左肩に走った。電車の先頭部はそのまま私の前を通過し、速度を落とし、停車した。乗降口が開き、アナウンスがあり、客の乗降が始まる…
 手は、しばらくそのまま、袖の上から肌に爪を食い込ませんばかりに強く、私の左腕を握り締めていた。
 振り返ると、リュリュが立っていた。あの頃のままの黒い装いだった。険しい顔つきだったが、すぐに微笑んだ。短く、なにか言ったようだったが、よく聞き取れなかった。聞き返そうとすると、消えた。
 はじめからいなかったかのようで、消えたという事実さえなかったかのようだった。握り締められた感覚と肩の痛みだけが残った。
 肩の痛みは、数カ月、消えなかった。

 (第6章 終わり)



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