2017年12月1日金曜日

リタ・ヘイワースの堅信と「行きます」


 むかし、21世紀がまだまだ若かった頃、2001年8月1日、桐田真輔氏に誘われてネット上詩誌《リタ》に参加したおりに、景気付けに書いてみた文章に久しぶりに出会った。
 良くも悪くも、もう自分には書けない文章で、懐かしいというより、まァ、よく書いたよね、とちょっと感心してしまう。自分で感心しているようでは恥ずかしいことこの上ないけれど、10年も前の自分がはたして自分なのかどうかなど怪しいもので、その怪しさが、なにか、この世に在ることの、まだ在ることの、微妙な妙味みたいなものかな、と思ってみたりする。
 というわけで、再録してみる。
 本人がいちばん楽しんでいるんだから、世話がない。『陽気なヴッツ先生』みたいになってきているのか。

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リタ・ヘイワースの堅信と「行きます」

 リタといえば、スペイン生まれの才能豊かなダンサーを父に持ち、やはりダンサーでジークフェルド・ガールの一員だったアメリカ女性を母に持ったあのマルガリータ・キャンシノのこと、すなわち、この本名を約めたファーストネームを芸名とし、本人もフレッド・アステア(『踊る結婚式』、『晴れて今宵は』)やジーン・ケリー(『カバー・ガール』)と共演して踊るほどの名ダンサーだった、あのリタ・ヘイワースに決まってはいるものの、ハリウッドの妖艶な女王として彼女が君臨していたあの時代、はたして女優として、というより、フィルム上の女性イメージとして、キャロル・ロンバートやベロニカ・レイクよりも果てまで彼女を選び続けうるかとなると、そこまでは保証の限りではないのだし、そもそも、個人的には、ポーレット・ゴダードが『モダン・タイムズ』でいかんなく発揮した、生き生きとした瞳の輝きや表情の豊かさにこそ、映像的にも実生活上でも女性像の方向性を定めてもいたし、なにより、わたくしがいつであれ無条件に贔屓し続けている至高存在キム・ノヴァクが、もっと後になって、ちょうどリタ・ヘイワースの退潮とともに、まさにジョージ・シドニー監督の『夜の豹』での共演というかたちで顕現してくるのでもある以上、桐田真輔氏にこのホームページの名をどうしようかと訊ねられた時、なるほど、キリタのリタへの語路合せの発想から、躊躇することもなく、リタ、と書き送ってしまいはしたものの、それはリタ・ヘイワースそのものや、リタ・ヘイワースの幾多のフィルム上の姿などに心を惹かれ続けたあげくの不意の吐露などだったのではなく、あくまでリタ・ヘイワースという名の、名それ自体の見事さにこそ惹かれ続け、なおもどこかで圧倒され続け、わたくしの精神的自立性などというものがあからさまに架空の代物であると思い知らされていることへの自覚を伴った、なるほど後ろめたいといえば後ろめたいが、けっして、いまどき石を投げれば当たるような大量の映画狂や映画好きの幾たりかがときおり見せびらかす女優愛のごときものであったのではないわけで、とすれば、あゝ、やはり、固有名詞愛とでもいうべきものであったのか...、という推定は、率直に言って、映画になんぞは断じて格別の関心は持っていないぞ!と言い張り続けたい衝動を、つね日頃プチプチと生きているわたくしにして、是が非でもここで再確認しておきたいように思ってしまうのである。まったく、わたくしがときどき無性に食べたくなる大福や串団子やみたらしやクスクス、水族館で見入るイルカやラッコ、動物園ですっかり心を奪われてしまうプレーリードッグやトラなどに較べれば、映画などというものの魅力は特筆するまでもないではないか。まれに魅力的に見えることもあるとはいえ、どうしてことの他、ラッコやプレーリードッグを差し置いてまで映画を特権化する人々がいてしまうものなのか、どうにも理解しかねるというものなのである。過剰というべき映画雑誌や情報の氾濫を目のあたりにするたびに、なにゆえに、『週刊ラッコ』とか『みたらし生活』、『現代大福』、『プレーリードッグ批評』などといった雑誌が書店に並ばないで済まされてしまっているのか、嘆かわしくも腹立たしく、諸君、世界は広いんだよ、などと、つい言ってやりたくもなるのだが、ちなみに、文芸や詩などというものの載った雑誌や本を目のあたりにするにつけても、わたくしはまったく同じ感慨を持ってしまうのだった。
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 リタ・ヘイワースの女優人生についてまでここで考える必要も余裕もないが、それでも、彼女が名前以外のものを雑多に持ってしまったことは、やはり不幸であったというほかない。いかに美女の典型というべき美貌や肢体に恵まれ、多くの映画に姿を残したとはいえ、もしリタ・ヘイワースという名のみが存在して、ほかにはなにもなかったのだとしたら...と想像してみれば、この場合に生じ得たはずの計り知れないほどの、ナイアガラ瀑布のごとき魅力の降りかかってくる思いに目も眩むばかりである。いまさら隠し続けるまでもないが、正真正銘、固有名詞愛の囚われ人であるわたくしにとっては、リタ・ヘイワースの残した最大の魅惑は、彼女が出演した映画の数々、善くも悪しくも彼女のイメージを決定してしまった『ギルダ』であるとか、かのタイロン・パワーを手玉に取った『血と砂』であるとか、『雨に濡れた欲情』、『カルメン』、『情炎の女サロメ』であるとかではなくして、単純にして簡潔といえばあまりに単純にして簡潔に、アルゼンチンの作家マニュエル・プイグが自らの一作品に記した『リタ・ヘイワースの背信』という書名、日本語に訳して表記してみればわずか十文字余のこの書名に集約され、凝縮され、いわば、核融合されてしまっていて、ここから滲出放射されてくる惑乱の無限量の微粒子は、フィルム上に残されたリタ・ヘイワースの影より、はるかに、激越と形容すべく強力なものになってしまっているのであり、この理由を問うてみれば、もちろん、様々な要因の重なりがあろうとは推測されるものの、やはり、固有名詞の力、適切なアングルからの照明を向けられた固有名詞の力というものが中核に存在していると認めざるをえないように思われるのだ。歌枕のようなかたちで方々に出現しつつ、かつて、このアキツシマの文芸に瞠目すべき磁場を与え続けてきたこうした固有名詞力、またそれへの正当な評価と正統な信仰が、現代でも衰えを見せずに脈絡と続いているのは一目瞭然なのだが、いま此処においても、『リタ・ヘイワースの背信』の十文字余の獲得と引き換えに、女優リタ・ヘイワースそのひとのことも、彼女がフィルム上に残した数々の光、影、動きをも、ともに意識からきれいに放擲し去り、記憶からさえ脱落していくままに任せよう、と、遅れてきた信仰者わたくしも、決意を新たにさせられていくかのごとき気配がある。まことに、終わりにも言葉ありき、であって、もう、映画やイメージはもちろんのこと、過去も人生も人間さえもいらない。言葉だけでいいのだ。
          
 とは言ってみるものの、もちろん、先にも触れた『夜の豹』のなかで、フランク・シナトラ演じる流れ者の青年歌手のパトロン役を演じる年増のリタ・ヘイワースの姿など、そう易々と忘れられるものではない。自分を援助してきたリタをではなく、結局、キム・ノヴァクを選んで、その若くグラマーな体を抱いて去っていくシナトラを、車のガラス越しにリタは見送るのだが、この場面は、かつてのグラマーなハリウッドの女王が、新しいグラマーへと冠を移譲するまさにその瞬間だったのであり、彼女自身の女優人生の引き潮の、最後の波音でもあった。そのようなすべてを承知のうえで、こういう役を引き受けたリタ・ヘイワースには、いつも、より高次の演技の精神の存在を感じさせられる。考えてみれば、女優であることを選んだ女にとって、盛時の過ぎていく女の姿を演じるのは当然至極のことでもあっただろうし、さらには、けっして欠けてはならない、疎かには演じようもない終幕でもあっただろう。その後に続くわずかの出演作品で、落ちぶれた女優や、化粧もしない中年女を演じているのを見れば、このことはいっそうはっきりしてくる。
 こう見てくると、『リタ・ヘイワースの背信』ならぬ、『リタ・ヘイワースの堅信』とでもいうべき雰囲気が、桐田真輔氏の新しいホームページへの命名を契機に立ち上ってくるようでもあり、立ちあがってくるべきだとも感じられてくる。好ましい軽さを以って起動されたかにも見える氏のホームページなのだが、そこになんらかの決意や霊感があったには違いない以上、『リタ・ヘイワースの堅信』という言葉が得られたことは、やはり、寿ぐべき何事かではあるまいか。《リタ》は、少なくとも、言葉への堅信の祭礼壇とはなろうから。
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 「そういえば、リタ・ヘイワースって、まだ生きていたっけ? 死んじゃったんだっけ?」 昔のハリウッドの俳優たちに長命なひとたちが少なくないのを思い、映画好きの友人にこう聞いたら、
 「もう死んだよ。晩年は、アルツハイマーにかかって、たいへんだったんじゃないかな。彼女の死後、たしか、娘が、リタ・ヘイワースの名かなにかで、アルツハイマーの基金かなんかを作ったんじゃなかったかな?」
 この話が本当かどうか、わたくしは知らないが、晩年の彼女の世話をし、基金を作ったというのは、ふたりの娘のうち、オーソン・ウェルズとの間に儲けた子のほうか、それともイスラムの大富豪アリ・カーンとの間に生まれた子のほうか。五回結婚して五回離婚したリタ・ヘイワースの、その離婚理由は、相手の男性がいつも「家庭的な男ではなかった」ということだったそうで、こんな言葉が、こともあろうにリタの口から発せられると、世間を驚かすことになりがちなのだが、なんということはない、そんな驚きは、イメージや光や影や動きばかりを見て物事を判断しているからこそで、やはり、言葉だけを聞いているに如くはないのである。
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  したがって、......と、理性的なもっともらしい論理や理屈に、ことさら注意して従おうともせずに、いかにも便宜的に、この文をそろそろ結ぼうとしながら、いささか唐突に言うことにするのだが、このHPの《リタ》なる名は、わたくしたちの堅信を象徴する名となっていくわけである。わたくしたちが自ずと向かってしまう対象、行為、作業、活動、あるいはもっと漠然と、思いや、感情、雰囲気などへのやわらかい堅信の象徴名となるのだ。わたくしたちは、今のまま、このままでいいのだし、これまでのままでよかったのだし、このまま自然に発生してくる方向を、もっとも聖なるもの、必然的なるもの、運命によって保証された道として受け入れていけばよい。ものごとや出来事のそうした顕われ、それらに対する、無抵抗で素直な"開き"の態度への堅信の表明として、「リタ、......」と発語していくことにするのだ。
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 はじめに言葉があり、終わりにも言葉がある。言葉は神であり、ひかりであったはずだろう。これを忘れたふりをするのも、数千年の世俗文明さわぎの中から生まれたひとつの生活態度であり、それなりに粋というものでもあったかもしれないが、野暮に生まれついたわたくしとしては、そろそろ神やひかりのほうに素直に、素朴に、戻ろうかと思う。神だのひかりだのと言うと、きまって、それは危険だと忠告してくれる人々がいる。悪いけれど、その手の危険、大好きでね。切った張ったの低レベルの危険ではない。神だのひかりだのから発生する危険というのは、人類の存続や一瞬の消滅にてきめんに関わる危険であって、これはもはや宇宙的な大掛かりな出し物というべき危険である。このさき数千年、そんな危険が、地球上ばかりか、太陽系、銀河系に波及していくと考えれば、わくわくしてくるのは、わたくしばかりではあるまい。
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 一九四六年、ビキニ環礁での原爆実験の際、アメリカ兵たちは、投下前の原子爆弾にリタ・ヘイワースの写真を貼った。リタのイメージはその時、少なくともひかりと放射能となって、危険ということの具体的な発現そのものとして世界に飛び散っただろう。こんな、原子爆弾とリタという関わりは、イメージとしては、あまり趣味のよいものとはいえないかもしれないが、往々にして、現実とはこんなものではないか。美はつねに、もっとも醜いもの、おぞましいものと同居している。そればかりか、人間社会において美は、そうしたものによってのみ養われ、支えられている。《リタ》という名のこのHPを舞台として踊る言葉が、われわれの世界のそんな構造について、忘却の演技だけはしないことを望みたく思う。血は血として、殺戮は殺戮として、そうして腐敗は腐敗として、しっかりと花や美女の柔肌のかたわらにあってもらいたく思う。リタ・ヘイワースだけを見て、原爆からは目を逸らそうとしたり、リタ・ヘイワースのことばかりを語って、原爆については語らないというような態度をこそ"醜い"というのであり、"おぞましい"というのであり、"まるで戦後日本の腑抜けの先達チシキジンどものようだ"というのであり、"女々しいタマナシ野郎どものようだ"というのであって、もちろん、こうした態度こそが、詩の対極にある抵抗勢力なのである。五十五年余り止まっていた時計の針が、ようやくここらから動き出すのであってもらいたい。いや、さらには、あの一七九四年七月二十八日、ロベスピエールとサン=ジュストが処刑されてこのかた、ずっと止まってしまっていた人類史の大時計が、ふたたび大掛かりに動き出すのであってもらいたい。そうして、「以前に幾度か持ったことのある緊張力やエネルギーを再発見するとしたら、ぼくは恐怖を惹き起こす書物を書くんだ。そうして、怒りを発散させてやる。ぼくは、全人類を敵にまわしたいのだ。これは、他のいっさいを埋め合わせてくれるほどの快楽になるだろう」、こんな言葉を飛び交わせながら、百鬼らの夜行するめちゃくちゃ時代の来らんことを! まさか、ご存知ない方もあるまいが、これは言うまでもなく、わたくしたちの守護神のひとり、聖ボードレールの、一八六五年の御言葉である。
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 もちろん、あくまでも「以前に幾度か持ったことのある緊張力やエネルギーを再発見するとしたら」......なのであって、こういう機会に、だれもが今生めぐり遇い得ると決まったものではない。すぐ次の来世でか、それとも幾万回のちの来世でか、それは各人各様というもので、まぁ、気長に行くほかはなく、瞬間湯沸し器ふうの血気盛んを保ちつつも、たしかにもう聖ボードレールの時代でもないのだから、人間のふりを続ける気がある以上は、わたくしたちはしっかりボーヨーとし続け、ヌーボーたり続けて、ノンキな父さんの仮面なども、つねづね埃を払いつつ、やはり大事にかぶり続けていくほかはない。それにしても、人生五十年だの、八十年だのという短距離走ばかりを思いつめるから、世界中でつまらぬ過ちが絶えないわけで、アランの「遠くを見よ」という言葉でも思い出して、ときどき拡大解釈して、先々の我が身のことを、よくよく宇宙的霊的に遠望してみたりするべき頃あいだろう。見習うべきは、そこ此処の誰かれではなく、サン=ジェルマン伯爵のように数百年、数千年を生き続けている人たちのことであって、昔の中国でなら、こういう人たちをやはり、仙人とでも呼んだはずだろう。
 邯鄲の夢を見続けようと努めたり、くりかえそうと努めたりするのにも、そろそろ飽き飽きしてきた。人間だの、ヒューマンなんとかだの、どうでもいいじゃないか、そんな安手の、数百年そこそこのコンビニ生活思想は。ここいらで、人間のふりを続けるのもあっさりやめて、いわゆる人間の条件だの、喜怒哀楽だのにまったく気をつかわない、すっかりとノーテンキな言葉たちにも会いたく思う。これからは、もっともっと、ミョウチキリンな電波を宇宙の果てから取り込むことにしていこう。新世紀霊媒、二十一世紀シャーマンとでも言うのかしら。ヘンに、ヘンになる。もう、地球はいらない。歴史も、記憶も、未来も、ニッポンも、いらない。わたくし、行きます(特攻隊ノ出撃時ノ言葉ダッタソウナ)。行きます(行ッテキマス、デハナイ。ツマリ、戻ラナイ、......)。行きます。もう、ますます、いよいよ、他人の理解や受容を求める精神の土地にも訣別して。行きます。見出されるかもしれない富も美も価値も経験も、誰とも分かちあわず。行きます。もう、自分とさえ語りあわずに。行きます。加速するばかりの中で、外面はもちろん、他者との共通認識も共感可能性も剥がれ落ちていくままに。内面さえ、それが何重に重なっていようとも、吹き飛んでいくがままにして。行きます。わたくしの無さ、主体性の完全消滅、再生と新生の全き不可能性の境域、あらゆる回帰なるものの終結の一点へ。
 行きます、リタ。
 行きます、ね......、リタ。


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