2017年12月11日月曜日

薄く見る

 
ちょっとは
今どきのぼくでもあるので
フェイスブックとか
そこから繋がる
インターネットのあれこれも
小間切れ時間に見る
見るつもりでもなかった
いろいろな記事や
文章や写真を
ちょっとは
見る
薄く見る

時間がない
ない
と言っているのに
それは事実すぎるのに
まるで
少し昔の人が
煙草に火をつけて
ちょっと休息するように
見る
目に入ってくる
文章や記事に
まったく
身を乗り出さない加減で
見る
薄く見る

以前なら
新聞や雑誌を開いて
見るつもりでもなかった
記事やコラムや特集の
ほんの上っ面だけを
見るともなしに
見ていたような感じ
そんな感じで
見る
気分の柔軟運動をするように
見る
時間がないっていうのにまったく
という
切迫した心の声に
追い立てられない程度に
まるで小学生時代の
下校時に迂回しての道草のように
このくらいなら
このくらいなら
という境を
見極める
というほどではなく
感じ量る
というぐらいの
いい加減な
よい加減な
勘だけに頼って
見る
薄く見る

小間切れ時間に見るのだし
見るつもりでもなかった
いろいろな記事や
文章や写真を
ちょっとは見る
というだけだから
まったく
身を乗り出さない加減で
見る
たとえ
だれかに一身上の大事件が起こったらしくても
急に亡くなったという知らせであっても
たいへんな事故の速報であっても
身を乗り出さない加減で
見る
薄く見る

書き手とわたしにとって
本当に大事なことなら
本当に大事な出来事なら
今どきなら
電話やメールで
ごくごく個人的に伝えてくるはずなので
フェイスブックとか
そこから繋がる
インターネットのあれこれの
小間切れ時間に見るべき
小間切れ時間に見る他ない
もともと
見るつもりでもなかった
いろいろな記事や
文章や写真は
身を乗り出さない加減で
見る
薄く見る

そして
一服後の煙草を
ポイと捨てるように
ポイと
流れ去っていく
情報の大河の奔流の中へ
捨てる
容赦もなく
決定的に
絶対的に捨てる



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