心というものついて
四六時中ひとはうずうずと語っているが
はたして
心というべきか
思いというべきか
むずかしい
思想とか思考ということばも
迷いもなく力まかせに打つメンコみたいに
ずいぶんバシッと使われることが多いが
たいていの場合は
思い
と呼んでおくぐらいでいいんじゃないか
と感じる
マルクスの思い
とか
ハイデガーの思い
とか
トマス・アクィナスの思い
とか
西田幾太郎の思い
とか
そんな感じで
十分じゃないかと
思う
マルクスの心
とか
いうと
たちまちアヤシクなってくるから
思い
でいいんじゃないかな
と思う
だいたい
人間の精神現象は
いろいろな
思い
の束のからまりでできていて
それらが
おなじ意識の中の
別の束と衝突したり
精神電流のショートや断絶を起こしたりすると
肉体の血流状態に影響を与える
そんな影響を
心
と呼んでいるように感じる
心は
だから
なかば肉体的なもので
思いと肉体のあいだに発生する
熱や
温度のようなもの
べつの見方も
定義のしかたもあるだろうし
あっていいと思うが
とにかく
心とか
思いとか
こんな基礎中の基礎の用語さえ
よく定めずに
平気で生きてきているのが
人間という
とんでもないもの
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