2018年2月13日火曜日

罪のない妄想が四肢に充ち溢れてくるのが



日の出前に起きてしまうことも多いが
そのたび
骨の奥を抉られるような寂しさを感じる
この世がじぶんの居場所だとは思えず
物理的な非情さの絡みあった坩堝であるばかりか
人間のどうにも解決のつかぬ情念や誤った思弁の泥沼だと
この世のどこを見てもはっきりしているので
意識がふたたびここに戻って来てしまう時の衝撃に
どうしても耐えられないままなのである

とはいえ
やがて太陽が東の地平線に顔を見せると
骨の奥を抉られるような寂しさはがらりと変わる
昔の人が自然と太陽を礼拝した理由が実感される
太陽を見つめるのは目に悪いとよく言われるが
夜明けの太陽を見つめる気持ちよさはやってみればすぐわかる
さまざまな神秘主義の行に組み込まれているわけもわかる
紫外線量に関わるのだろうが神秘主義の行では
日の出後一時間以内の太陽しか見つめてはいけないが
それさえ守って少しの時間ずつ見つめ続ければ
直接太陽の霊光からエネルギーを得られるようになり
さらには内奥に自律エネルギーが居坐るようになるので
食事などは不要になるという話さえある
これをまともに信じればいよいよ現代人らしからぬ頭脳になろうが
夜明けの太陽光を見つめながら思うと
これはこれで楽しい話に思えてくる
くわえて太陽光が体にも精神にも本当によさそうだとは
ありありと実感されることなので
実行し続ける人が少ないだけのことで存外ほんとうかもしれないと
罪のない妄想が四肢に充ち溢れてくるのが
また楽しい



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