日の出前に起きてしまうことも多いが
そのたび
骨の奥を抉られるような寂しさを感じる
この世がじぶんの居場所だとは思えず
物理的な非情さの絡みあった坩堝であるばかりか
人間のどうにも解決のつかぬ情念や誤った思弁の泥沼だと
この世のどこを見てもはっきりしているので
意識がふたたびここに戻って来てしまう時の衝撃に
どうしても耐えられないままなのである
とはいえ
やがて太陽が東の地平線に顔を見せると
骨の奥を抉られるような寂しさはがらりと変わる
昔の人が自然と太陽を礼拝した理由が実感される
太陽を見つめるのは目に悪いとよく言われるが
夜明けの太陽を見つめる気持ちよさはやってみればすぐわかる
さまざまな神秘主義の行に組み込まれているわけもわかる
紫外線量に関わるのだろうが神秘主義の行では
日の出後一時間以内の太陽しか見つめてはいけな いが
日の出後一時間以内の太陽しか見つめてはいけな
それさえ守って少しの時間ずつ見つめ続ければ
直接太陽の霊光からエネルギーを得られるようになり
さらには内奥に自律エネルギーが居坐るようになるので
食事などは不要になるという話さえある
これをまともに信じればいよいよ現代人らしからぬ頭脳になろうが
夜明けの太陽光を見つめながら思うと
これはこれで楽しい話に思えてくる
くわえて太陽光が体にも精神にも本当によさそうだとは
ありありと実感されることなので
実行し続ける人が少ないだけのことで存外ほんとうかもしれないと
罪のない妄想が四肢に充ち溢れてくるのが
また楽しい
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