2018年2月17日土曜日

いや、ナニ 個人の感想です



大阪に行って
スーツケースを持って
エスカレーターで左に立っていたら
邪魔だとか言われ
怒られたという

今どき
この情報時代の世
大阪がどんなとこかぐらい
わかってるじゃないか
エスカレーターとか乗るには
右側に立つんだよ
あっちはサ

そう言ってやると
だって
東京に来る大阪人たちが
エスカレーターで
よく右に立って邪魔くさいのに
東京の人間は
べつに怒ったりしないで
なにも言わずに
脇をすり抜けて行ってあげるじゃない?
なんで
東京の人間が
大阪に譲歩なんかしてやらないといけないの?

そりゃあサ
しょうがないんだよ
大阪の人なんだからな
相手は

などと
東京の人間どうしで話していると
自然に
ウルトラ級の差別が
露呈し始めてくる

ちゃんと
それに
気づいてる
じぶんで
わかってる
東京の人間として

べつに
バカにしているわけじゃないんだが
ああいう人たちはしょうがない
どうしようもない
などと
深いところで考えているのが
自分でわかってくる

だいたい
東京以外の場所と東京とを
比較して話したりする時
いつのまにか
東京を
東京だけを
ニホンと呼んでいる
京都や大阪から
新幹線で東京に戻ってくるような時でさえ
「いやぁ、ニホンはいい天気だな
「ニホンは雨降らなかったのかな?
などと
いつのまにかしゃべっている
本気でそうしゃべっている
なめらかにスムーズに
ツルリっという具合にこうしゃべっている

ホントのホントだから
ホントに根が深いんだなァと
じぶんでも
気づいている
東京の人間として

東京のことだけを
うっかりニホンと呼んでしまうようなら
それこそが今どきの東京の人間
ということなんだろうと思う
うっかりそう言ってしまわない人は
ゼッタイに東京の人間ではない
少なくとも三代以上の住人ではない
何十年住んできた人間ではない

東京以外だって
もちろんニホンだ
などと
ホントに心の奥で思えている日本人は
東京の人間ではありえない
いいとか悪いとか
東京に価値があるとかないとか
そういうのとはゼンゼン別に
東京という名の力の中に肉体を置いていることの恐ろしい効果がこ
東京都の住民票を持っていることから来る
日本列島内における自己認識感の不思議な磁力がこれ
おかしいナとか
そんな馬鹿ナとか
そう思うんなら自分で都民になって東京都の住民票を持ったり
東京都の被保険者証や運転免許書を携帯するようになって
何十年も暮らしてごらんと言いたい
そうしたらきっとわかる
心の底や脳の髄から実感するようになる
ことほどさように
心や脳の確からしさなどハカナイものなのである

むかしはよく
ヒとシを言い分けることができないなどと
東京の人間について言われたが
現在は
東京のみがニホン!
という根深い染みが思考や感情のベースにある人
東京の人間だろうという気がする
これがいいとか悪いとか
これでいいのだとか
そういうことを言いたいわけではなく
どうにもならないほど思考や感情にこびり付き
これが思考や感情をねじ曲げていて
しゃべる時にはぎりぎりのところで検閲するけれども
あくまでぎりぎりでポリティカル・コレクトの努力をしているわけで
心の奥底には
東京のみがニホン!
という思いが染み込んでいる

だから
全世界に蔓延しているさまざまな差別というのは
ホントに怖いと思うのだ
同じ日本国籍を持っているはずの人間どうしでさえこれなのだと
東京に何十年も住んでみている人にして
はじめてわかる
このマインドの根源的な歪み
染み
アザ
これをどうしてくれよう?
ホント
いつもそう思うのだ

なにを大げさなことを
思う人もいるかもしれないが
たぶん
そういう人は
関東地方に住んでいて
しかも
神奈川や千葉や埼玉の住人に違いない
栃木や茨城や群馬の住人はハナからヘンな東京意識は持たない!
アテンション、プリーズ!
東京都の人間が
神奈川や千葉や埼玉の住人をどう思っているか
たぶん
事細かに尋問したことがないから
そんなノンキなことを思っていられる
神奈川や千葉や埼玉はもちろん東京ではない
神奈川や千葉や埼玉の住人を目の前にしながら
おいおい
東京都在住と同じであるかのように思ってるんじゃないよナ?
と心の中で考えていない東京の人間など
おそらくひとりもいない
東京の人間が京浜東北線に乗って
鶴見とか洋光台とかいう
よくわけのわからない遠処の遙かなる文字を目にしたりする時の
ヒョウビョウたる寂しさといったら
なんだか網走だとか足摺岬という名を耳にする時のそれに近い
それともむしろサハリンに近いかな?
京急の幕末ふうの血の匂いは肌寒くてアレルギー反応を起こしそうだし
お高く留っているふうのある東横線も
おいおい神奈川だろ?と思いながら
やっぱりヤンキーが多いなァと
乗客たちの微妙なオオサカ感を観察してしまう
(だいたい、東急が開発した路線沿線なんざァ…と
(明治期からの古い東京の人間は思っているわけで…
千葉なんぞはもう論外で
総武線のアナウンスで「千葉方面」と聞いただけで
ただただもうイヤだなァとしか感じない
ナラシノとか聞こえてくると
ああ怖、アダシノかァ?と一瞬思ってしまう
埼京線の先や赤羽からむこうになにか文化があると妄想したりするのは
もうハナから止めておこうヨと
東京都の人間どうしは小声でつぶやき合うだけで済ましてしまう

さて
話はもともと大阪のことで
大阪と東京との違いを考えざるを得ない時に
東京の人間はごくごく自然にビシバシ差別してしまうぞォ
といったようなことなのであったが
つらつら
まとめてふり返ってみるに
どうも
東京の人間は
神奈川や千葉や埼玉よりも
大阪のほうをもっと上位に置いているナ
あまりに文化が違うので
民族学的に観察対象としてもっと注意を払っており
それゆえに
どうでもいい神奈川や千葉や埼玉よりも上位に置いている
そんな感じが
どうもしてくる

…いや、ナニ
…個人の感想です

…それに
…この書き飛ばしに出てきた
…大阪や神奈川や千葉や埼玉のイメージも
…あくまで
…イメージに過ぎませんから

というか
東京の人間が
他府県の人間に対してごく自然に本当に持っている
こんな差別意識って
ちゃんと書き残しておくべき文化記録だろうなァ
東京の人間は
東京に入り込んでくる地方人たちを駒として利用するために
わざと格差を表に出さないで
なにも言わずに曖昧にし続けているけれども
大阪の船場の人間の意識を
谷崎潤一郎が『細雪』にちょっと書き残したように
東京の人間の意識の中の徹底した差異意識を
もっと露骨に書き残す文学作品がいくつか出てこないと
逆に文化の研究としては
まずいと考えるべきだろうなァ…



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