斜めにエメラルドグリーンのノートを置いてある。
右端の線を延長すれば、テーブルの縁とは45度ほどで交わるだろう。
ノートはテーブルの縁には接していない。
椅子に座れば、テーブルの前方にフレンチ窓が見える。
窓までは1メートル50センチほどある。
窓の向こうには庭が広がっている。
七センチほど伸びた芝生のグリーンが陽を浴びて鮮やかに輝いている。
晴れた日、椅子に座っていると、いつも庭に惹かれる。
庭に出ようかと誘われる。
海は20メートルの崖下にあるのに、波の音が聞こえ続けている。
大きな音ではないが、波とわかる。音が絶えることはない。
夜に就寝する時には、意外と妨げにはならない。むしろ、包み込まれるような気がして、かえって安眠へと引き込まれやすい。
日中にまどろむ時も妨げにはならないが、少し神経のざわつきはあるように感じる。
視線を、心の視線を、ノートに戻す。
表紙のエメラルドグリーンは気に入っている。テーブルの上に長方形にできた海のように見える。
そう見えることを望んで、サンフランシスコで購入した。
このノートを買った時、サラといっしょだった。
サラはその雑貨屋でなにも買わなかったが、近くにあった古着屋で青灰色のスカーフを買った。
「巻いて歩いてみたら?」と言ったが、サラはすぐには巻かなかった。
離れた軽食屋に行って、ハンバーガーとジンジャエールを注文した。
よく覚えているが、そこで食べている時に、今目の前にある光景を予知していた。
テーブルの上のエメラルドグリーンのノート。
テーブルの前の窓と、庭の芝生の輝くグリーン。
ここには、サラはいない。
そのことまで予知はしなかった。
ちょっとした時に垣間見える未来は、あまりに断片的だ。
ある角度から、ちょっとの広がりだけ見え、他の部分は全く見えない。
こういう予知は頻繁に起こるが、あまりに偏った見え方なので、他人には、予知ができるなどとは言わない。
しかし、見える部分については、正確で、驚くほど鮮烈だ。
それはいつか、確実に到来する。
明るい庭と、ノートのエメラルドグリーンが、今、幸せだ。
私がではなく、それらが、幸せだ。
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