藤森、という表札が掛かっているので、
そのあたりを、
藤森
と呼ぶようになっていた。
藤の木は、ない。
そのあたり、と言っても、ごく小さな一角で、
車が一台通れる程度の、
細い舗装路のわきの、さらに細い、
土の路地……………
表札が掛かってはいても、すぐに家の入口があるわけではない。
入口は土の路地の奥にあるらしく、
人ひとりが、
両脇の家の壁や、木の繁りに身を擦らせながら、
入っていける程度の細い道が、暗く、続いて行っている……
森は、ない。
なぜか、そのあたり、藤森のあたりを通る時には、
きまって夕暮れか、夜で、
近くの街灯の明かりで、入口の舗石ぐらいは見えるものの、
少し入ったところは、もう、なにも判然とは見えず、
たゞ、闇の濃淡で、遠近が感じられる。
路地の右側には、家の板壁、左側には、椿か、 柾のずいぶん伸びたもの、
その間の細い暇を、
かなり奥まで、濃淡のある闇が、通っている…
たゞ、それだけの場所で、
他人の家の敷地内に入って行くようだから、
踏み込みはしないで、
藤森、
藤森、
藤森に来た、
藤森、
などと、
通り過ぎながら、思い、
まるで、
人生のある時期のメルクマールになるような、
名所、
ででもあるかのように、
藤森、
藤森、
と、思いが、湧いては、
ひととき、
小さな風景と同化するに任せて、
思いが、この風景を吸い取るがまゝにさせ、
たぶん、
こちらの肉に、こちらの生身の闇に、
藤森が加わっていくのを、
泌みるものの、ように、
麻痺の、繊細な、いっぱいの枯枝の広がりの、ように、
持ち堪えて、来て、
いる、……
藤の木は、ない。
森は、ない。
藤森、………
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