2016年12月5日月曜日

滅びもよぉく見える



絶望が
幼時から
あまりにも長く打ち続いたので
なににも参加しないことにしただけだが
無数の意識たちは今も
小さな闘技場の中で
ほら
あんなに熱狂して
騒ぎ立てている

他人に
時代に
世の中に
なにを求めうるのか

こう呟くと
旧約聖書的な時代錯誤を
語りでもするようで
空恥ずかしい気もするが
子供の頃から
こう思い続けてきた

組のために
チームのために
市や県のために
国のために
人類のために
未来のために

いつでも
こう焚きつける人たちがいた

そうして
どうなったのか
この国は
事故後の放射能は
社会保険制度は
あんなに良好だったはずの
国の財政は

なににも参加しないことを
まるで高見の見物をしているとか
高踏派のようだとか
思う人もいるようだが
あなたがたの参加したあれやこれは
正しかったのか
自然破壊を開発と呼んで
正しかったのか
電化製品を次々ばらまき
パソコンや小さな端末を持たなければ
仕事もできなくしたのは
正しかったのか
鶏豚牛を陸続と殺し続ける社会を作り上げて
正しかったのか
戦勝国の足を舐め続けるように這い蹲って来て
正しかったのか

ただ目を開けて
耳に栓をしないでいるだけで
誰もがわかる
なにもかもが絶望的で
この先
なにひとつ良くなっていく兆しはないと
食肉工場で殺され続ける鶏豚牛と同じように
社会という工場でエネルギーと時間と健康を奪われて
ヒトは陸続と特定の生き方に嵌め込まれるという死に方を
強いられていくだけで
それはこれからもますます強化されていくだけなのだと

なににも参加せず
狂乱と虚栄の場のほとりに
力のかぎり
たったひとりで立ち続ける他に
この世では
なにもできない
こうしていてもいずれ
倒れるだろうが
それでも狂乱と虚栄の場の中に飲み込まれるよりは
空ももっと見えれば
原野も森も見える
無も見える
滅びも
よぉく見える




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