詩人の辻和人氏と話していて
「犬や猫は古本屋に行かない!
と言われたので
あッ…
とぼくは思った
たじろいだ
まいったナ、こりャ
やられッちまいました
と思った
古本屋に入って行く
犬や
猫が
ありあり
見えてしまった
も
の
だ
か
ら
どうして
いままで気づかなかったんだろう
と反省もした
犬や猫が古本屋に入って行く図なんて
いかにもありそうだし
サマになっているし
かぶった帽子のへりを
犬がちょっと抓んでたり
猫がパイプを咥えてたりしたら
ちょっとシブイぜ
こりゃ
もちろん
言われたのは
「犬や猫は古本屋に行かない!
ということだったのだが
行かない!
と言われたって
言葉と
それにまつわる理解って
まわりくどくって不便なところがあって
まずは
《犬や猫が古本屋に入って行く図》
を思い描いてみてから
その図に大きくバツをつけて
力づくで打ち消してみなきゃいけない
そんなしくみに
なっている
藤原定家のあれだ
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
花も紅葉もないんだよォ
と言われたって
まずは
満開の花もようや
紅葉のさかりを想像してしまう
それから打ち消す
あるいは藤原良経のあれだ
「吉野山花のふる里跡絶えて空しき枝に春風ぞ吹く
吉野山の花もとうに散り
人も来なくなってネ
と言われたって
まずは桜満開のさまを思い描いてしまい
それを
なんとか
そうじゃない
もう
そうじゃ
なくなってる
と打ち消すことでしか
近づいていけない
景
あッ…
と思い
たじろぎ
まいったナ、こりャ
と思い
やられッちまいました
と思ったのは
藤原定家だの藤原良経だのまでが
こんなふうに
いっぺんに
古本屋に行かない犬や猫
といっしょに
押し寄せて
き
た
も
の
だ
か
ら
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