分かち書きで
それも
詩のかたちによく似たかたちで
文字を置いていこうとすれば
思いの中に湧き出て
意識のおもてに浮かび上がってくる単語のうちの
十分の一も使えない
十分の九は使うのをあきらめて
思いの流れの中にまたリリースし
手放していかねばならない
分かち書きという
形式というほどのものでもない形式が
要請してくるのは
そんなこと
詩のかたちに
よく似たかたちを使ってみるというだけで
強いられるふるまいは
そんなこと
その結果
できあがってくる
文字ならびを見直すと
じぶんの思いとはなんと懸け離れてしまっているか
としみじみ感じる
型式に強いられて並べられていった
文字のこれらのすがたは
さっきまでのじぶんにはとても予想もできなかった
奇っかいきわまる異様なもの
内容にいたっては
ふだんのじぶんの考えとは真逆の場合さえある
ひとりの人間の考えや感情の表現です
などとは
とてもではないが言えない
幾人もさまざまなキャラクターが出てきて演じる
舞台上のひとこまを切り取ったかのよう
ことばと形式に
人間がどこまで動かされ
流されてしまうものか
それを見続けているのです
と言えばいいか
ことばも文字も使わないに越したことはないのです
そんな教訓を学び続けているのです
と洩らせばいいか
そう言うと
すこししんみりしても来てしまうが
この分かち書き実験の現場は
いたって
さっぱりして
あっけらかんとしている
使うことばや
置いていく文字と
じぶんの思いや感情をすっかり切断してしまっているのだから
それもあたり前のこと
ひとがいろいろな色を装いやインテリアに使うように
装いのため
インテリアのため
インテリアのため
その時どきの気まぐれで
ことばや文字を並べたり置いたりする
だれもがそんなふうに
ことばや文字を
ただのモザイク石として使えるようになる近未来に向かって
分かち書きの形式をまだまだ使いながら
文字使い
ことば使いの
思いや感情や心情との完全分離を
さらに推進していこうと
ぼくは思っています
なんだか
マニフェストみたいだね
もちろん
これも
ぼくの思念とは分離した上での
文字ならべ
0 件のコメント:
コメントを投稿