2018年1月28日日曜日

マニフェストみたいだね


分かち書きで
それも
詩のかたちによく似たかたちで
文字を置いていこうとすれば
思いの中に湧き出て
意識のおもてに浮かび上がってくる単語のうちの
十分の一も使えない

十分の九は使うのをあきらめて
思いの流れの中にまたリリースし
手放していかねばならない
分かち書きという
形式というほどのものでもない形式が
要請してくるのは
そんなこと
詩のかたちに
よく似たかたちを使ってみるというだけで
強いられるふるまいは
そんなこと

その結果
できあがってくる
文字ならびを見直すと
じぶんの思いとはなんと懸け離れてしまっているか
としみじみ感じる
型式に強いられて並べられていった
文字のこれらのすがたは
さっきまでのじぶんにはとても予想もできなかった
奇っかいきわまる異様なもの
内容にいたっては
ふだんのじぶんの考えとは真逆の場合さえある
ひとりの人間の考えや感情の表現です
などとは
とてもではないが言えない
幾人もさまざまなキャラクターが出てきて演じる
舞台上のひとこまを切り取ったかのよう

ことばと形式に
人間がどこまで動かされ
流されてしまうものか
それを見続けているのです
と言えばいいか
ことばも文字も使わないに越したことはないのです
そんな教訓を学び続けているのです
と洩らせばいいか

そう言うと
すこししんみりしても来てしまうが
この分かち書き実験の現場は
いたって
さっぱりして
あっけらかんとしている
使うことばや
置いていく文字と
じぶんの思いや感情をすっかり切断してしまっているのだから
それもあたり前のこと

ひとがいろいろな色を装いやインテリアに使うように
装いのため
インテリアのため
その時どきの気まぐれで
ことばや文字を並べたり置いたりする
だれもがそんなふうに
ことばや文字を
ただのモザイク石として使えるようになる近未来に向かって
分かち書きの形式をまだまだ使いながら
文字使い
ことば使いの
思いや感情や心情との完全分離を
さらに推進していこうと
ぼくは思っています

なんだか
マニフェストみたいだね

もちろん
これも
ぼくの思念とは分離した上での
文字ならべ



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